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本番2カ月前に全プログラムを変更…荒川静香が明かす“トリノ金メダル秘話”「エリート街道を行ったわけではない私が…」
posted2022/02/17 11:02
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Takuya Sugiyama/JMPA
16年前のトリノ五輪。荒川静香が日本女子フィギュアスケート界に悲願の金メダルをもたらした。当時の秘話を本人が振り返った「Sports Graphic Number」掲載記事を特別に公開する。
〈初出:2019年4月25日発売号「[日本人初女王の本懐]荒川静香『メダルよりも美しく』」/肩書などはすべて当時〉
〈初出:2019年4月25日発売号「[日本人初女王の本懐]荒川静香『メダルよりも美しく』」/肩書などはすべて当時〉
8年ぶりの五輪出場まであと2カ月という時期に、荒川は周囲の誰もが驚く思い切った決断を下す。コーチを変え、ショート、フリーのプログラムも変更した。その裏側にあった思い、そして綿密な計算を自身が回想する。
◆◆◆
荒川静香にとって、2006年のトリノ五輪は「自分が出るオリンピックと思っていなかった」大会だった。
「ルールが変わるし、社会人になっているし、次の世代が台頭していて彼女たちのオリンピックかなと思っていました」
2003-2004シーズンの世界選手権で金メダルを獲得したこともあり、その年度で引退しようと考えてもいた。
「世界チャンピオンになったこと以上に、自分自身が満足できる戦いができた達成感がありました。それ以上のところを目指すにはそれ以上の大変さがあると分かっていましたから」
だが日本10年ぶりの世界選手権金メダルに、周囲が引退を許すわけもなかった。
「オリンピックを目指した方がいいと言われて」
あいまいな心境で臨んだ翌シーズンは、低調なままに終わった。
それが転機となった。
五輪まであと2カ月なのに…全プログラム変更を実行
「なんのために残ったのか、満足したまま終わりたかったのに、という思いが自分自身の中で解消できなくて。このままやめたらやらせてくれた親にも応援してくれた方々にも、何も恩返しできずに終わっちゃうな、どんな結果になるかわからないけれど、やりきろうと思いました」