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当たってもいないパンチで「見事にKO」される片八百長も…沢村忠からシバターまで、格闘技の“リアルとフェイク”の狭間に迫る
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph byRIZIN FF Susumu Nagao
posted2022/01/30 17:02
2021年の大晦日『RIZIN.33』で久保優太から一本勝ちを収め、大喜びするシバター。試合後に「事前交渉」が発覚し八百長騒動にまで発展したが、榊原信行CEOは両者に処分を下さない方針を示した
石原慎太郎は「NO」と言えるコミッショナーだった
プロモーターサイドの良からぬ思惑が働き、ビッグマッチの勝敗がいじられそうになった未遂事件もあった。1973年3月29日に行われた藤原敏男と西城正三の一戦だ。当時の藤原はキックボクシングの全日本ライト級王者。片や西城は元プロボクシングの世界王者で、キックに鳴り物入りで転向してきたスター候補生だった。
60~70年代、ボクシングの世界王者は絶対といっていいほどの知名度を誇っていたので、キックに転向しても西城の方が藤原より人気は高かった。西城を“第二の沢村忠”として売り出したい主催者はシンデレラボーイが勝つように水面下で裏工作に動いたが、その計画は頓挫してしまう。
当時全日本キックのコミッショナーを務めていた石原慎太郎の耳に情報が入ってしまったのだ。石原はお飾りのコミッショナーではなく、西城勝利のシナリオを書いた首謀者のひとりに啖呵を切った。
「もしそんな試合をやったら、俺はコミッショナーを降りる。そしてお前たちの悪事を全部ばらしてやる」
石原はキックを“マッハのスポーツ”と定義し、ボクシング同様純然たるスポーツとして見ていた。フェイクなど、もってのほかだったのだ。その結果、藤原vs西城はリアルファイトとして行なわれ、1Rからローキックを効かせた藤原が、3Rに相手のセコンドからのタオル投入を呼び込んだ。
後日、藤原は石原の元を訪ね、「本当にありがとうございました」と頭を下げた。
「おかげで自分の意にそぐわない試合をしないですみました」
競技の骨子を守るためには、やはり物言いができるコミッショナーが必要なのだろうか。
筆者が聞いた“負けブック”のカミングアウト
いまや純然たる格闘技として認知されるようになったMMAでも、黎明期には仕組まれた試合が存在する。たとえば、1990年代後半に東京ドームで行なわれたビッグイベント。日本格闘技界の価値観を根底から覆した、エポックな試合が組まれた大会である。
そのアンダーカードに出場したある外国人選手のセコンドは、試合後旧知の筆者を見つけるや否や駆け寄り、慌てた面持ちでまくし立てた。
「我々は約束通りの試合をしていた。向こうが途中で勝手に倒れただけだ。我々は何も悪いことをしていない」
その外国人選手の対戦相手は、試合中に大ケガを負ってTKOで敗れた。アクシデント以外のなにものでもなかったが、セコンドは大会前日に都内で双方とも参加のうえ“負けブック”の打ち合わせをしていたことをカミングアウトした。