JリーグPRESSBACK NUMBER
《赤裸々告白》担架で運ばれたJリーガーはどこへ? FC東京DF中村帆高が鳴らした“ナースコール30回”と長谷川健太への電話
text by
松本宣昭Yoshiaki Matsumoto
photograph byF.C.TOKYO
posted2021/12/03 06:00
4月3日のアウェー名古屋戦で負傷し、長期離脱を強いられたFC東京DF中村帆高
4月14日、手術室で自身の半月板と“対面”した。麻酔は下半身だけ。まずはメスで膝を開いて、中村自身も実際に半月板の状態を見て、本当に全治6カ月の手術が必要かを確認する。結果は、MRI検査による診断どおり。事前に予定していた手術方針のまま進めることが決まった。
「よろしくお願いします」
執刀医への言葉とともに、全身麻酔に切り替えて眠りについた。
6カ月の長いリハビリ生活は、強烈な痛みとともに開幕した。無事に手術を終え、病室で軽い食事を終えた頃、麻酔が切れた右膝が悲鳴を上げた。
「死ぬほど痛くて、ナースコールを30回は鳴らしました(笑)」
リハビリのスタートは、松葉杖で体を浮かすことから。それができたら、1週間をかけて片足ずつ地面に乗せて、次はようやく仁王立ち。両足で歩けるようになるまで2カ月かかった。そんな状態だから、退院して寮に戻ってからの生活も苦戦の連続だった。リラックスタイムであるはずの入浴も、「地獄」。足をぴーんと伸ばしたまま、慎重に、慎重に、湯に体を沈めた。
不自由な生活も、膝の状態が少しずつしか良くならないことも、手術前から覚悟していた。むしろ難しいのは、体よりもメンタルのコントロールだった。中村の離脱後、FC東京はリーグ戦で5連敗を喫した。通常、メンバー外の選手たちはスタンドから試合を観戦するが、中村はそれも叶わない。苦しむチームメイトたちを、寮のテレビで1人見つめていた。
「サッカー選手って、プレーできないこと、試合のピッチに立てないことが、一番メンタルをやられるんです。試合の結果や内容に一喜一憂してしまうと、自分が出られない悔しさや焦りが出てきてしまう。それがストレスにつながる。だから、リハビリ中はあえて“無”の状態で試合を観ることを意識していました。一旦、東京の選手である自分は切り離して、1人の視聴者としてフラットに観ようと」
憧れの長友が加入、健太さんに誓う活躍
6カ月の月日が経てば、チームの編成も少なからず変わる。ましてや中村のような主力選手が離脱すれば、クラブが新戦力の補強に動くのは自然な流れだ。9月、明治大学の先輩であり、同じサイドバックの長友佑都がチームに加わった。
「学生時代に佑都さんの著書を読んでいました。そんな人ですから、サッカー選手として、アスリートとしてめちゃくちゃ尊敬しています。盗めるところは、何でも盗みたい。でも、僕は佑都さんを目指しているわけじゃない。長友佑都は長友佑都。中村帆高は中村帆高。佑都さんの良いところを盗みつつ、僕は自分の価値を高めたいと思っています」
離脱中に変わったのは、メンバーだけじゃない。昨季、中村をルーキーながらスタメンに抜擢し、その守備力を「特殊能力」と高く評価していた長谷川健太監督が、11月7日に辞任した。中村は別メニューでの練習だったため、指揮官がクラブを去る日に直接挨拶することができなかった。だから後日、恩師の電話を鳴らした。
「健太さんから、『帆高にはすごいポテンシャルがあって、いいものを持っている。だから自信を持て。今までどおりやっていけば、必ず道は開けると思う』と言ってもらえたんです。ありがたかったですね。今年、何とか健太さんの力になりたいと本気で取り組んだ中で、怪我をしてしまった。本当に申し訳ない気持ちがありました。ただ、プロは甘い世界じゃない。監督がシーズン途中に替わるのも想定されること。それは認識した上で、この世界に飛び込みました。だからこそ、今年、健太さんの力になれなかった分、これからの活躍で感謝の気持ちを健太さんに届けたいと思っています」