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《赤裸々告白》担架で運ばれたJリーガーはどこへ? FC東京DF中村帆高が鳴らした“ナースコール30回”と長谷川健太への電話 

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松本宣昭

松本宣昭Yoshiaki Matsumoto

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photograph byF.C.TOKYO

posted2021/12/03 06:00

《赤裸々告白》担架で運ばれたJリーガーはどこへ? FC東京DF中村帆高が鳴らした“ナースコール30回”と長谷川健太への電話<Number Web> photograph by F.C.TOKYO

4月3日のアウェー名古屋戦で負傷し、長期離脱を強いられたFC東京DF中村帆高

 非常事態に気付いたのは、チームメイトとともに東京行の新幹線に乗ってからだ。みるみるうちに、“一応”アイシングしていた右膝が腫れていく。東京駅からチームバスに乗り込む頃には、耐えきれないほどの痛みが襲ってきた。

 翌日、クラブハウスでチームドクターにこう伝えた。

「どっちかって言うと……左のハムストリングより右膝のほうが痛くて」

 右膝を見たドクターも、すぐに異変を察知した。

「半月板をやっているかもしれない」

 すぐに1人で提携先の病院へ向かい、MRI検査を受けた。

「試合の直後は、まさかこんなに大きな怪我だとは思っていなかったし、思いたくもなくて。お願いだから、無事であってくれって」

 夜、病院から診断結果を伝える電話がかかってきた。願いは叶わなかった。

「『右膝の半月板を損傷していて、手術が必要です』と。手術には復帰まで全治3カ月のものと、全治6カ月のものがある。6カ月の手術は、復帰までの時間はかかるけど、最先端の医療技術による方法で再発のリスクは少ない。『今すぐに決断しなくていいので、どちらか自分で選んでください』と伝えられました」

「3カ月」と「6カ月」どっち?

 中村は明治大学から加入した2020年、いきなり開幕スタメンに抜擢され、リーグ戦28試合に出場した。2年目の今季は、プロとして確固たる地位を築くための「勝負の年」だと考えていた。残りのサッカー人生を削ってでも、できるだけ早くピッチに戻りたい。でも、再発のリスクを抑えて、万全の状態で戻るべきではないか。「3カ月」と「6カ月」の間で、心が揺れる、揺れる。

「あの判断をするときが、一番つらかったですね。膝の手術の経験もあるナオさん(石川直宏)に相談したり、それでもまた迷ったり。お医者さんが決めてくれたほうが、どれだけ楽か……。最終的に考えたのは、目の前よりも将来的にどのような選手になっていたいかということ。今は全治までの3カ月間の差がすごく大きく感じるけど、今後のサッカー人生と引退後のキャリアを考えて、たとえ全治までの期間が長くても、より良い状態で復帰することを選びました」

 リハビリノートを書き始めたのは、この頃だ。

「6カ月もサッカーができなくなる経験自体が初めてだったので。この期間を自分がどう過ごしたのか、どう感じていたのか、文章で残しておいた方がいいと思ったんです。この先、つらいことも、悲しいことも色々あるだろうから、弱音を書き出してもいい。6カ月の手術を受けることを決断するまでは、『自分は、これから一体どうしたいんだ』という迷いも書きました。ただ、自分の弱さを素直に受け止めた上で、なるべくポジティブに締める。そこは意識していましたね」

【次ページ】 「ナースコールを30回鳴らした」

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