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“世界一過激な格闘技”で稼ぎ、貧困支援に人生をかける…元ホームレスの「心優しき狂戦士」渡慶次幸平がRIZIN沖縄大会に凱旋
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph byKohei Tokeshi
posted2021/11/14 17:04
国内外で子供たちの支援に取り組む渡慶次幸平。地元・沖縄で初めて開催されるRIZINで生きざまを見せられるか
先日、渡慶次は大阪にある“日雇い労働者の街”として知られる西成で定期的に行なわれている炊き出しに初めて参加した。そこで、ミャンマーで出会った子供たちと同様に、“現場”の切実さを改めて感じた。
「西成に行ってみなければ、わからないことがたくさんありました」
恐れ知らずのファイトで「狂戦士」と呼ばれた
振り返ってみれば、渡慶次はファイターとしても数奇な人生を辿っている。ホームレスを脱却し就職。その後20歳から格闘家人生をスタートさせた。最初は総合格闘技でキャリアを積み上げたが、なかなか芽は出なかった。そうした矢先の“できちゃった結婚”。コンビニエンスストアの店長という日常の忙しさにかまけ、格闘技から遠ざかった時期もある。
渡慶次は都会の片隅で元格闘家として埋もれかけた。その後MMAに復帰したが、無名のひとりから抜け出すことはできなかった。覚醒することができたのは、“世界一過激な格闘技”と呼ばれるラウェイとの出会いを抜きに語ることはできない。バンテージをつけただけの拳で殴り合い、ヒジ、ヒザ、頭突きもOK。このルールで闘えば、顔面がありえないほど膨れ上がることも珍しくない。
骨と骨がぶつかり合う攻防が多いのだから、それも当然だろう。多くのファイターが敬遠するこの格闘技に、渡慶次は高額なファイトマネーにつられて出場した。初戦はボコボコにされた挙げ句ボロ負け。しかしながら究極の立ち技格闘技を経験することで、渡慶次の心に新たな価値観が芽生えた。
格闘技とは何か。勇気とは何か。
「僕よりスピードがあって若くてスタミナがある選手なんていくらでもいる。でも、僕より強い気持ちをもって闘っている奴はたぶんいないと思う」
それからラウェイには計18回も挑戦している。本場ミャンマーのリングにも立った。かつてミャンマーは鎖国を貫いていた歴史があるだけに、外国人でこれだけラウェイでのキャリアを持つ選手はいない。恐れを知らぬ渡慶次の勇敢なファイトは、現地で「狂戦士」と報道された。
「本場の人たちにそう言われたんですから、よっぽどだったんでしょうね(笑)」
ミャンマーの政変を受けて現役続行を決意
冒頭に記したRIZINの記者会見で、渡慶次とDEEPライト級暫定王者・大原樹理とのMMAルールでの一戦が発表された。MMAのキャリアは大原の方が上ながら、渡慶次は「狂った闘いなら誰にも負けない」とラウェイ魂を爆発させることを宣言した。
「豊見城団地というヤンキーが多い地区でヤンキーの先輩たちに可愛く育ててもらいながら、19歳で東京へ出てきました。やっと(地元)沖縄でRIZINが開かれるということで呼ばれたんだと思っています」
会見後、渡慶次は「本当はラウェイでやりたかった」と本音を漏らした。「ラウェイでは日本人と4年半も闘っていない。もう誰も僕とは闘ってくれないんじゃないですかね。RIZINにはラウェイでやりたいというリクエストすら出しませんでした(笑)」