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18歳の松井秀喜「阪神ファンでしたから(巨人は)憎かった」「彼女ですか? 1人いますよ」29年前のドラフトは“事件”だった
posted2021/10/08 17:02
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
Sankei Shimbun
「G党もアンチG党も拍手喝采! みんなが待ってる長嶋巨人で明るいニッポン」
これは『週刊現代』1992(平成4)年10月24日号の長嶋茂雄特集の見出しである。あのミスタープロ野球が、ついに巨人監督として12年ぶりに球界に帰ってくる。記事は「新車販売前年割れ確実に、2年連続は戦後初」とか、「税収不足約4兆円に、2年続けて減額補正へ」なんてニュースが飛び交うバブル崩壊後の暗いニッポンを明るくするのは長嶋茂雄しかいない……という論調だ。
当然、スポーツマスコミも凄まじい盛り上がりを見せる。『ホームラン』92年11月号では、表紙に大きく「ミスターが帰ってきた!熱烈歓迎長嶋茂雄」の見出しで10月12日の巨人監督就任会見の様子を伝えている。その注目の席において長嶋新監督が、「魅力を感じています。しばらくぶりに打者として大成する能力をもっていると心打つものを感じました。ご縁があれば育てたい。指導したいと思っています」と熱烈ラブコールを送った相手こそ、星稜高校3年生の松井秀喜だった。
「マジメにやれ!」長嶋ジャイアンツの現実
夏の甲子園で5打席連続敬遠が話題となった、高校通算60ホーマーの“10年に1人の逸材”に対して、ドラフト前の就任会見で異例の1位指名公言だ。当時の巨人野手陣は、早急な世代交代を迫られていた。新背番号33のお披露目も兼ねた第二次長嶋政権の初戦は、10月30日の日米親善野球、全米オールスターズvs巨人のエキシビジョンマッチ。ナインとはこの日の東京ドームが初対面で、秋季キャンプ前に若手選手の実力を測ろうとスタメンは2番元木大介(当時20歳)、5番大森剛(25歳)らを起用する。投手陣も木田優夫(24歳)や谷口功一(19歳)らがマウンドに上がったものの、元・阪神のセシル・フィルダー(タイガース)やケン・グリフィー・ジュニア(マリナーズ)に特大ホームランを浴び、打線は同年18勝を挙げたロジャー・クレメンス(レッドソックス)に完璧に抑え込まれた。新生長嶋野球に期待した客席からは、「マジメにやれ!」なんて野次が飛び、終わってみれば自軍の安打はベテラン篠塚和典の1本のみの11対0という大惨敗を喫する。
80年代を支えた主砲の原辰徳は30代中盤を迎え故障がちで、次世代のスーパースター候補も育っていない。厳しい現実を突き付けられる負け方に、ミスターも「完敗? そうでしょうね。采配的なものは何も見当たらない試合でした」と珍しく弱気な発言を試合後に残している。
4球団競合「阪神ファンでしたから…」
いったい長嶋ジャイアンツはどうなってしまうのか……。そんな崖っぷちの空気感を一変させたのが、この3週間後のドラフト会議だ(当時のドラフトは11月下旬に行われていた)。