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18歳の松井秀喜「阪神ファンでしたから(巨人は)憎かった」「彼女ですか? 1人いますよ」29年前のドラフトは“事件”だった
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2021/10/08 17:02
1992年11月21日のドラフト会議。4球団競合の末、長嶋茂雄新監督がクジを引き当ててニッコリ
巨人、阪神、ダイエー、中日の4球団が松井秀喜に1位入札。そして一度はクジ引き役を辞退しながら、結局自らの手で引き当てるのだから、やはり長嶋茂雄の強運ぶりは健在である。チームでも80年原辰徳以来、12年ぶりに競合に勝っての1位指名だった。
11月21日午後、街ではミスター会心のサムズアップポーズの写真と「V奪回へ夢いっぱい 当てた長島 松井巨人」(当時のスポーツ紙は「島」表記)の見出しが躍るスポーツ報知号外が配られた。なお、石川県金沢市の星稜高校には全国各地から約150名もの報道陣が詰めかけ、NTTから「ドラフト当日、学校に臨時電話を設置してみては」と打診があったという。学校周辺の公衆電話がマスコミにより一斉にふさがると、近隣の電話回線がパンクする恐れもあるからだ。まだ携帯電話普及前のゴジラフィーバーのリアルである。
「自分は阪神に行きたかったけど、クジですから。阪神ファンでしたから(巨人は)憎かった。でも、あの人(長嶋監督)は特別。嫌いという人はいないでしょう。ボクの(巨人への)イメージも変わりました」
4限目の授業が終わり、12時37分から会見に臨んだ松井はそう語り、16時30分に長嶋監督直々の指名挨拶電話を受けた。ドラフト翌日には、ミスターのサイン入りの「交渉権確定」用紙と、「松井君 君は巨人の星だ。ともに汗を流し王国を作ろう」という直筆の色紙が届けられる。
「やっぱり清原以来でしょう」
連日メディアが追いかけ、近県からわざわざ松井を訪ねる子供たちが続出した“おらが町のスター”もグラウンドを離れたら、普段は朝の6時起床。6時45分には家を出て、自転車、電車、また自転車と乗り継いで登校する普通の高校生だ。お楽しみは途中行きつけの店で買う朝食代わりのパン。夏の甲子園が終わったあとには、野球部の仲間たちと温泉旅行を楽しんだ。趣味は音楽鑑賞でサザンオールスターズと聖飢魔IIをよく聴く。星稜は進学校としても知られ、12月5日には期末試験が控えていた。