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18歳の松井秀喜「阪神ファンでしたから(巨人は)憎かった」「彼女ですか? 1人いますよ」29年前のドラフトは“事件”だった
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2021/10/08 17:02
1992年11月21日のドラフト会議。4球団競合の末、長嶋茂雄新監督がクジを引き当ててニッコリ
無事テストを終えた翌6日、金沢市内のホテルで巨人と仮契約。契約金1億2000万円、年俸720万円。高校生ルーキーとしては、初めての1億円突破で、球団史上最高額だった。高校時代は三塁を守っていたため、いきなり原の「4番サード」を奪うのではと話題を集める。“カネヤン”こと金田正一は『週刊ポスト』93年1月1日・8日号誌上で長嶋監督に直撃して、「もし、もしもやぞ、松井の方が原より上ということがハッキリしたら、当然、使うだろう?」とか「それじゃ松井が開幕から原のサードのポジションを取って、最初から出場できるようなことがあれば、巨人の優勝は間違いないか?」とまで詰め寄っている。自分がタツノリの立場なら不貞腐れちゃうよ……というのは置いといて、この周囲の過熱ぶりにミスターも乗せられ、「そうであれば、やっぱり松井を使います。バッターとしての潜在能力は、やっぱり清原以来でしょう。小学校6年生の時に90メートル飛ばしたというんですから並じゃない。ハイスクールの時代に60本打ってるんですよ。やっぱり、これは“買い”ですよ」とあらためてその素質を絶賛した。
「彼女ですか? 一人いますよ」
ところで松井と言えば、ニキビ顔と“ゴジラ”というニックネームで御馴染みだが、思春期真っ只中の高校時代の本人は当初これを気に入っておらず、プロ入りを機に“ウルフ松井”にする案があったという。巨人入団のお祝いとして、近所の自転車屋から贈られたチャリンコが“狼号”だったことから思いついたネーミング。しかし、のちのチームメイト高橋由伸の“ウルフ由伸”と同じく、それが浸透することはなく、結局“ゴジラ松井”のまま東京へ上陸する。
この男には、圧倒的な実力と同時にどこか憎めない“隙”があった。忘れ物が多く、時間にもルーズ、サービス精神も旺盛だ。『週刊現代』92年12月12日号の直撃インタビューで、普段は勉強をしているか聞かれ、「してません(笑)。中学時代は数学で満点とったこともあるけど、高校に入ったらサッパリ。でも、30点以下の赤点はとったことがないですよ」と笑い飛ばす。さらにモテて大変でしょうと質問されると、「いや、自分は若いコにあんまり人気がないですから(笑)。彼女ですか? 一人いますよ。おとなしい、ごくフツーのコです」なんて恋人の存在を茶目っ気たっぷりにカミングアウトしている。
落ち着いた自然体でありながら、ユーモアを忘れず、一方で相手が誰であろうと自分の意志表示はハッキリする。当然、そういう18歳は周囲の大人たちから可愛がられた。こうして92年秋から冬にかけての松井秀喜は、プロデビュー前から、メディアの寵児となっていくのである。(続く)
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