Number ExBACK NUMBER
《Bリーグ開幕》ともに21歳で大決断。宇都宮の司令塔・田臥勇太&テーブス海は、なぜアメリカでの居場所を捨て日本に戻ったのか
text by
宮地陽子Yoko Miyaji
photograph byShunsuke Mizukami
posted2021/10/01 17:07
宇都宮ブレックスを牽引する2人のポイントガード、田臥勇太(左)とテーブス海
「実際外から見ていたら、アメリカでやっていたほうが自分のためになるだろうって思うのもわかります。ただ僕と、たぶん田臥さんも、現地でやってNBAに行く選手とかも見て、どれぐらい難しいのかっていうのもわかったうえでの決断だったと思います。アメリカの大学と言っても、本当にレベルの差もありますし。それをいったん見たからこそできた決断だったと思う」
テーブスが所属していたノースカロライナ大ウィルミントン校はNCAAディビジョンⅠのチームだったが、ディビジョンIのなかではトップレベルには程遠く、テーブス自身、自分の成長につながる場所なのか迷いながらプレーしているようにも見えた。1年のときからスターターで出場し、平均アシスト数(7.7)はジャ・モラントに次いで全米2位の成績をあげていた一方で、チームは勝てずに低迷。このまま続けていてもNBAには近づけない。その思いが、21歳での決断につながった。
「大学をやめるっていうのが難しい決断でしたし、勉強を途中でやめるっていうのはある程度リスクもあります。ただ、自分が目指しているところにたどり着くために必要な決断なんだなと自分で思った瞬間、特に迷ったということはなかったですね」
テーブスはそう振り返った。
田臥の場合は、当時、アメリカで大学生としてプレーし続けるよりも、いったんプロになって気持ちを切り替えることが重要だと思っての決断だった。ブリガムヤング大ハワイ校はディビジョンⅡで、競争のレベルもさほど高くなかった。
「大学のバスケのレベルは海のほうが全然高かったと思うし、彼はもともと英語もネイティブなんで、自分とは状況は違ったんだろうなっていうのは感じているんですけれど、この段階でプロに入ってきたっていう部分では似ている部分はありますね。
僕の場合は1回日本に戻ってプロになることで、また(アメリカを)目指したいというマインドにしなきゃと思ったんで。その選択をしたからこそNBAを本気で目指したいと思えた。なので、本当にいろんな方法があっていいと思います。僕の経験や海の経験を若い選手たちが見て、こういうやり方もあるんだっていうふうに思ってもらえれば、また先に繋がっていくのかなって思います」
テーブス少年「日本で最高のバスケ選手は誰か…」
田臥もテーブスも、見かけ以上に頑固なところがある。意思が強いと言い換えてもいい。まわりがどれだけ驚こうが、こちらのほうがいいと自分で思えれば、進んでいた道を変えるだけの勇気もあった。