Number ExBACK NUMBER
《Bリーグ開幕》ともに21歳で大決断。宇都宮の司令塔・田臥勇太&テーブス海は、なぜアメリカでの居場所を捨て日本に戻ったのか
posted2021/10/01 17:07
text by
宮地陽子Yoko Miyaji
photograph by
Shunsuke Mizukami
田臥勇太とテーブス海。宇都宮ブレックスでチームメイトとしてプレーする2人は、ポイントガードというだけでなく、考え方やバスケットボールに対する姿勢、たどってきた道など、似たところがいくつもある。
なかでも、21歳での選択は、2人の生き方を表している。
2002年春、田臥勇太はそれまで所属していたブリガムヤング大ハワイ校を途中でやめて日本に帰国。JBLスーパーリーグのトヨタ自動車アルバルクに入り、プロ選手としてのキャリアをスタートさせた。21歳のときのことだった。翌シーズンにNBAへの挑戦を始めるための準備期間だった。
それから約18年後、テーブス海も同じような選択をした。2019年12月、それまで1年余り所属したノースカロライナ大ウィルミントン校を突然離れ、翌年1月に宇都宮ブレックスに特別指定選手として加入したのだ。田臥と同じく、21歳での決断だった。
田臥と同じ年齢で、似たような道を選んだことについて聞くと、テーブスは「田臥さんが途中で大学やめたっていうのは知らなかったですし、それも同じ21歳だったなんてショックです」と言い、笑った。
「アメリカの大学と言っても、本当にレベルの差もあります」
18年の間に時代は移り変わり、バスケットボール界における日本とアメリカの距離感も変わってきたが、それぞれの世代のトップガードとしてNBAを目指していた彼らがアメリカを離れて日本に戻ってきたことは、日本のファンにとっては衝撃のニュースだった。2人とも大学ではスターターとして活躍していたのだから、なおさらだ。なぜ、レベルが高いアメリカでの居場所を捨ててまで日本に戻るのかと、疑問に思った人も多かったことだろう。
しかし、彼らには彼らなりに見てきた世界があり、アメリカで経験したからこそわかっている現実があった。NBAという目標に近づくためには、この道のほうがいいと信じていたからこそ、迷いのない決断だった。
テーブスは言う。