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なぜ張本勲は「偉そう」に「喝!」とか言うのか… 毎週“ムカムカしながら”見ている筆者がほめ殺す“5つの成績”とは <大打者がやることか?>
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKyodo News
posted2021/08/22 06:00
前人未到の3000本安打を筆頭に、張本勲は本当にすごい選手だった。だけど……
その2:日本で唯一の「生涯トリプル3」
3割、30本、30盗塁を1シーズンで達成することを「トリプル3」という。長打と走力を併せ持つ稀有の選手だけが実現可能な大記録だ。
張本は記録していない。1963年に33本塁打、41盗塁しているが、シーズン打率3割以上を16回も記録しながら、この年は.280、惜しくも大記録を逸している。
しかし張本は、キャリアでは打率.319、504本塁打、319盗塁だ。通算3割、300本塁打、300盗塁を「生涯トリプル3」とするなら、張本はこれをクリアしている。これはすごい。NPBでは1人しかいないのだ。打って走って大活躍した長嶋茂雄でも、打率.305、444本塁打、190盗塁なのだ。
NPBよりもはるかに長い歴史を持つMLBでも、通算3割、300本塁打、300盗塁を揃ってクリアしたのはたった1人、ウィリー・メイズだけ。打率.302、660本塁打、338盗塁。
メイズは「コンプリートプレイヤー」と呼ばれたが、張本はそれに並ぶ存在なのだ。
むかむか。
その3:野村克也さえいなければ……。
張本と言えば、「安打製造機」と言われる。
しかし、それだけではなかった。中軸打者として本塁打も打点も稼いでいた。
ただこの時期のパ・リーグには野村克也という、飛ばすことなら張本より上のスラッガーがいた。打率以外のタイトルは、野村にさらわれることが多かったのだ。
野村克也は1961年から'68年まで、8年連続で本塁打王、'62年から'67年まで6年連続で打点王を記録しているが、この間に張本は本塁打で3回、打点で4回野村に次ぐ2位になっている。
野村克也がいなければ、張本は打率以外のタイトルを7つもとっていたことになる。
それでも三冠王になったシーズンはないが、'60年代、張本はリーグ最強打者の座を野村克也と争っていたのだ。
ああ、むかつく。
その4:セ・パ両リーグで.350以上をマーク
張本勲は1976年に日本ハムから巨人に移籍した。前年最下位に沈んだ長嶋巨人を立て直すために、大型トレードで加入した。
この年、張本は打率.355を記録。しかし激しいデッドヒートの末に、中日の谷沢健一に.00006差という史上最も僅差で敗れ、2位に終わった。江藤愼一(中日、ロッテ)に次ぐ両リーグ首位打者はならなかった(のちに内川聖一が、横浜、ソフトバンクで両リーグ首位打者になっている)。
しかし両リーグで打率.350をマークしたのは張本勲だけ。リーグが変わり、投手が変わっても、張本勲はトップクラスの安打製造機であり続けたのだ。
むかむか。