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アスリートの“メンタルヘルス問題” オリンピアンはどう戦ってきた?「すべてを犠牲にする価値があるのか自問自答している」
text by
及川彩子Ayako Oikawa
photograph byGetty Images
posted2021/08/09 17:00
体操選手のシモーネ・バイルズ。メンタルヘルス上の理由から団体と個人総合種目を棄権した
「結果が出なくて落ち込んでホテルの部屋に引きこもっていた時、ムタスがドアを叩いたんだ。僕は無視して、早く立ち去ってくれないかと願っていた。でもムタスはずっとノックし続けて、仕方ないからドアを開けて部屋に招き入れた。話しているうちに僕は涙が止まらなくなって号泣したけど、ムタスは『焦っちゃだめだ。ゆっくりやっていけばいいんだよ』って言ってくれたんだ」
苦しい時に、同じ苦しみや痛みを経験した仲間と思いを共有できることもある。だがそれは相手に心の余裕があり、お互いに信頼していないとなかなかできない。心を開いて話せる仲間がいるかどうか、それもメンタル安定の大きな要因になる。
「なぜ自分はここまでして競技をしているんだろう?」
男子走高跳びでタンベリとともに金メダルを獲得したカタールのムタエッサ・バーシムは、選手生活におけるストレスをこう説明する。
「プロスポーツ選手はとても特殊だ。例えば僕は9カ月になる息子に、もう5カ月も会っていない。選手生活は家族や友人との時間を犠牲にしないと成り立たない。そこまでしても何もかもがうまくいかない日がある。そういう時には『なぜ自分はここまでして競技をしているんだろう。すべてを犠牲にしてまで競技を続ける価値があるのだろうか』と自問自答することもある」
バーシムは怪我にも苦しんだ。
「手術後、長い間ベッドで過ごした。歩くことはもちろんできなかったし、1人でトイレにも行けなかった。不安でいっぱいだった」
何もかもがうまくいかず、自暴自棄になったり、激しく落ち込む選手は多いという。バーシムは「アスリートとしての生活を仕事は仕事と割り切り、スポーツ以外の生活、家族や友人との時間、趣味の時間、休暇をうまく取ったりしないと長く続けることはできないと思う」と話す。
それでもやはりスポーツ外でのストレスが消えることはない。
「僕の結婚式には友達がみんな参加してくれた。とてもうれしかったし、感謝している。でも僕は結婚式に招待されても練習や試合で参加できない。兄弟の誕生日も卒業式も一緒に祝うことができない。みんな『忙しいんだからいいよ、大丈夫だよ』って言ってくれる。その言葉には嘘はなくて、そう思ってくれているはずだ。僕は参加したいし、申し訳ない気持ちでいっぱいで、いつも葛藤がある」
バーシムと同記録で金メダリストになったイタリアのタンベリも同意する。