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「やっぱり松坂大輔が1番」2人の甲子園球審が目撃した、“ダルビッシュ有、斎藤佑樹にもなかった”驚異の才能とは
text by
藤島大Dai Fujishima
photograph bySankei Shimbun
posted2021/08/18 17:01
今シーズン限りでの現役引退を表明している松坂大輔。23年前の夏の甲子園を大いに沸かせた
渾身の15球。清水の印象は次の一言に尽きる。「まるで他のピッチャーとは違いました」。確かに白球は最後の瞬間に浮いた。浮いたように見えた。断言できるのは、それが間違いなくストライクであることだった。もちろん無失点に抑え切った。
その裏、横浜はたちまち無死満塁として計3点を奪い、薄氷を踏みながら、なお盤石の気配を秘めたような接戦を制した。
甲子園球審人生22年で「松坂がいちばん」
2012年、淡路島の夏、野球ボールのサイズの特産玉ねぎがなんとも甘い。淡路カントリー倶楽部のレストランでいただいた特製牛丼に、濃く煮たやつがちりばめられていたのだ。
あの「松坂大輔の250球」、横浜-PL戦の球審を担ったのは当ゴルフ場代表取締役社長にして支配人である。清水球審の準決勝をはさみ、こんどは「松坂大輔のノーヒットノーラン」で知られる京都成章との決勝でも、また審判用マスクをかぶっている。
「(手の甲を内側に向けて)これよりも(外側に突き出し)このほうが同じストライクのコールでも力強い。仕事と一緒で、外からどう見えるかも大事やからね」
岡本良一は言った。写真のポーズに照れながら言葉は確信に満ちている。きっと強い人だ。6年前の勇退まで22年間におよぶ甲子園での審判人生、決勝球審だけでも春夏あわせて5度経験している。その哲学とは。
「審判というのはね、あまり四角四面ではいけないんです。選手の応援団のつもりでやる。ストライクを取る。おい、これ打ったら、あしたの1面トップやないか。振っとかんかいと激励するようにコールする。松坂でもね、たとえば彼のストレート、その選手が命としているボールについては絶対に間違えません。でもキャッチャーがインコースに構えて、アウトコース高めに抜けたら、もしかしたら間違えるかもしれない。そんなもんはね、もういっぺん出直してこんかい、というくらいの気持ちでいいんです。私は審判をすることにまったくストレスを感じませんでした」
岡山県立倉敷工業2年で春夏の甲子園ともにベスト4進出、明治大学へ進むと、「なんとかせい」の故・島岡吉郎監督の薫陶を受けながら三塁手として活躍、社会人の川崎重工でもベストナイン選出など名をはせた。30歳の現役引退後に「野球への思返しをせい」と周囲に勧められて審判の道を歩む。社業でもおおいに手腕を発揮、関西支社長などの要職を経て現在に至る。
選手として、会社員として、そして審判として歴戦をくぐり抜けた岡本は言う。
「やっぱり自分が球審をした中では松坂がいちばんやないかなあと思いますね」
PLとの激戦で感じた松坂の“驚異の身体能力”
あの夏、松坂大輔のまばゆい夏、延長17回の準々決勝に臨んで、隠れた主役のひとりでもあるはずの球審に、大観衆や大声援、あるいは空の色や雲の形の記憶はない。