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清原和博15歳が苦しんだ「PL1年時の寮生活」と、甲子園決勝前日18歳の予言「チームは優勝する。俺は2本のホームランを…」
posted2021/08/18 11:03
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Katsuro Okazawa/AFLO
<名言1>
今、PL時代を振り返ると……、やっぱり1年の時の苦しかった日々が強烈に蘇ってきます。
(清原和博/Number883号 2015年7月30日発売)
◇解説◇
「15歳で初めて親元を離れて、あの厳しい上下関係の中での寮生活。すぐにホームシックになりました。入学式の2週間前に入寮したんですが、その時は先輩、優しいんです(笑)。『今はまだお客さん』ということで、炊事洗濯、掃除、ユニフォームのたたみ方とか、丁寧に教えてもらいました。でも、入学式が終わるともう……」
恩師である元PL学園監督の中村順司氏との対談で、こう寮生活の思い出を語っていた。また盟友である桑田真澄との対談でもこのように話していたことがある。
「荷物運びはもちろん、洗濯の時とか食事の時に、与えられた仕事をどうやってこなすか。1年のときは『あれはどうしよう、これはああしようか』って相談したことくらいしか、桑田と会話した記憶がないわ」
そんな厳しい日々を乗り越えて1年生からレギュラーをつかんだ清原、そして桑田の「KKコンビ」の大活躍は説明不要だろう。
大人気となったKKコンビだが、中村氏いわく野球面で清原を叱ったことは「一度だけ」だという。それは高2の夏に参加した日本代表チームで無安打に終わった時のこと。「帰ったら秋の大会あるんだで」と“喝”を入れたのだという。
それと野球以外で……もう1つだけあった。
「清原も桑田も女の子からキャーキャー言われてたから『調子に乗るなよ』とついつい言っていた気が(笑)」
3年夏の決勝前日に「2本のホームランを打つ」
<名言2>
明日の試合、チームは勝って優勝する。そして俺は2本のホームランを打って、藤井の記録を抜いてみせる。
(清原和博/Number626号 2005年4月21日発売)
◇解説◇
1985年8月21日、夏の甲子園決勝のカードはPL学園対宇部商業だった。宇部商業の主砲・藤井進は大会新記録となる4本の本塁打を放ち、清原は1本差で追っていた。
雌雄を決する大一番で輝きを放ったのは――3日前、18歳になったばかりの清原だった。