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「やっぱり松坂大輔が1番」2人の甲子園球審が目撃した、“ダルビッシュ有、斎藤佑樹にもなかった”驚異の才能とは
posted2021/08/18 17:01
text by
藤島大Dai Fujishima
photograph by
Sankei Shimbun
〈初出:2012年8月3日発売号「<伝説の3試合を裁いて>松坂大輔『球審は見た! 怪物投手の真骨頂』」/肩書などはすべて当時〉
延長17回までもつれた死闘、6点差からの大逆転、そして伝説の最終章となったノーヒットノーラン。“平成の怪物”は、準々決勝から決勝に至る道程で、次々と劇的な試合を制し、ついに頂点を極めた。捕手の背後に構え、その投球を間近で凝視した2人の球審は、恐るべき右腕に何を見たのか――。
上から投げ込まれた硬く丸い物体が、いよいよ捕手のミットの直前で浮き上がる。
あらゆる「好投手列伝」において欠かせぬ記述である。いったい物理の法則ではありえるのか。それとも、ただの錯覚なのだろうか。
「こんなボールがストライクになるの?」
アマチュア野球の元審判員、清水幹裕が、冷房のよく効いた東京都内のオフィスで、当時の驚きを軽妙な調子で再現した。東京大学野球部出身、文部省(当時)のキャリア官僚を経て司法試験に合格、弁護士業務のかたわら、東京六大学を母体に甲子園などの審判を長く務めた。真実への肉薄を職責とする人物は、あの夏の松坂大輔の投球を続けて解説してくれる。
「審判ってね、ボールが半分くらいまできたら、だいたい、これ低いなって分かるんですよ。まあ100人に99人はそのままボール。でも100人にひとり、そこからストライクになるピッチャーがいるんだよね。松坂君の球は絶対に低めのボールだと思うのにストライクになる。あれ、何なんだろうね」
球審が触れた筋肉は「ものすごく弾力がありました」
1998年8月21日の甲子園、横浜と明徳義塾がぶつかる準決勝の球審を担当した。
試合前、ダグアウト裏のスペースで部長とキャプテンとの短いミーティングを行なう。そこへ松坂大輔が右腕のテーピングの許可をもらいにやってきた。その前日、横浜のエース松坂は、PL学園と当たり「延長17回、250球」を単身で投げきっている。9-7。いまだ語り継がれる名勝負だ。
清水球審は声をかけた。
きょうは投げないの?
「投げません。レフトに入ります」
テープの位置を確かめるために腕に触れた。いま70歳になった法律家は思い出す。
「実に柔らかい筋肉でね。ものすごく弾力がありました。全然、投げられそうでしたね」
明徳義塾戦。8回の攻撃開始時に0-6と先行されながら、まず4点を返す。9回表、松坂大輔は満を持してマウンドヘ向かった。カメラマン席の前で投球練習を行ない、その場で例のテーピングをペリッと剥がす。観客席は揺れた。シャッター音がセミの声のように重なる。ちょっとした役者ぶりだった。