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「化け物のような選手に育てたかった」“天才・伊藤美誠”を鍛えた母の“鬼レッスン”「幼稚園生で1日7時間練習」「自費で中国遠征」
text by
城島充Mitsuru Jojima
photograph byAsami Enomoto/JMPA
posted2021/08/05 06:02
混合ダブルスで金メダル、シングルスで銅メダルを獲得した伊藤。団体女子では日本のエースとして打倒中国を目指す
2歳の時、母は「これはとんでもない才能だ」
伊藤が卓球を始めたのは、3歳の誕生日をむかえる直前である。
母、美乃りがプレーする姿を、いつもコートの隅で見つめていた娘が「わたしもやりたい」と言い出したのだ。
当時暮らしていた横浜市内の卓球ショップで子供用のラケットを購入したが、母は娘が卓球を始めるのに否定的だった。
「美誠のために、自分の練習時間が削られるのが嫌だったんです。私自身が現役選手としてストイックに卓球と向き合っているときでしたから」
だが、近所の公民館ではじめて娘にボールを出したとき、その考えは一変した。
「美誠は両足のスタンスをきめ、ラケットをひいてボールを手元にしっかり呼びこんでから、ラバーでボールをこするようにやわらかく打ち返したんです。これはとんでもない才能だ、私なんかが卓球をやってる場合じゃないと思いました」
その時間から、母と娘の“準備”は始まったのである。
「うちのお母さんは愛情を注いでくれるけど鬼なんです」
静岡県磐田市に引っ越すと、リビングに卓球台を置いた。幼稚園に入園した伊藤は一日最低でも4時間、休日は7時間以上、卓球台の前に立った。母娘で布団を並べ、眠りについた娘の隣でその日の練習を振り返るのが母の日課だったが、やるべき練習をしていないことに気づくと、深夜でも娘を起こし、一緒にそのメニューをこなした。
伊藤は「うちのお母さんは愛情を注いでくれるけど鬼なんです。だから、他の人にどれだけ厳しくされても、私は平気」と言って笑うが、美乃りは「ネット越しにいる美誠を抱きしめたい衝動と何度も戦いました。でも、私は娘の人生を卓球を軸にデザインしてあげたかった。そのために、相手の選手がまったくプレーを予測できない、化け物のような選手に育てたかったんです」と言う。
中国に優秀なジュニアの指導者がいると聞くと、仕事を3つ掛け持ちして遠征費を工面した。メンタルトレーニングを研究している大学教授のもとへ、小学生になったばかりの娘を連れて行ったこともある。対戦相手はもちろん、相手ベンチや観客の思いを想像するくせをつけ、どんな局面でも自分だけの思考でゲームメイクしないように言い聞かせた。
特筆すべきは、年齢を重ねてから初めてラケットを握り、自己流のスタイルで卓球を楽しむ人たちにも積極的に声をかけ、娘の相手をしてもらったことである。
「世界の頂点を争う選手はみんな、個性の塊です。教科書通りのスタイルに染まってしまうと、本当の天才たちには対応できません。うまくはなくても、見たことのないスイングをしたりサーブを出したりする人とやることは、とても大切な練習になるんです」