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「化け物のような選手に育てたかった」“天才・伊藤美誠”を鍛えた母の“鬼レッスン”「幼稚園生で1日7時間練習」「自費で中国遠征」

posted2021/08/05 06:02

 
「化け物のような選手に育てたかった」“天才・伊藤美誠”を鍛えた母の“鬼レッスン”「幼稚園生で1日7時間練習」「自費で中国遠征」<Number Web> photograph by Asami Enomoto/JMPA

混合ダブルスで金メダル、シングルスで銅メダルを獲得した伊藤。団体女子では日本のエースとして打倒中国を目指す

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城島充

城島充Mitsuru Jojima

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Asami Enomoto/JMPA

東京五輪、7月26日の混合ダブルスにて金メダル、29日の女子シングルスでは銅メダルを獲得した伊藤美誠。日本卓球界に初めて金メダルをもたらした21歳の活躍の陰には、幼少期から支え続けた母・美乃りさんの存在がありました。彼女の卓球人生の“原点”に迫った記事を再公開します。(初出『Sports Graphic Number』894号 2016年1月21日発売)

 第3ゲームまでのスコアを確認した日本女子代表監督の村上恭和は、落胆と肯定の入りまじった複雑な気持ちになった。

 2015年3月、卓球ワールドツアーのドイツオープンシングルス一回戦。当時14歳で、世界ランキング38位だった伊藤美誠は、ランキング8位のハン・イン(ドイツ)と対戦し、3ゲームを立て続けに失っていた。しかも、伊藤が奪ったポイントはそれぞれ3点、4点、4点と、圧倒的な力量差があるとしか思えないスコアだった。

「伊藤のポテンシャルに期待したのですが、やはり、ヨーロッパ最高峰のカットマンにはまだ通用しなかったか、と」

「奇跡としか表現できないプレー」

 だが、第4ゲームを迎えたとき、日本のホープは冷静だった。いや、その逆境を楽しんでいたといってもいいかもしれない。

「もうダメだっていう気持ちはぜんぜんなかったです」と、伊藤は振り返る。

「ハン・イン選手が出すボールの回転がわからなくて、それまでは慎重にレシーブしていたんですが、弱いボールを返すから、相手はよけいに強い回転がかけやすくなる。そんな悪循環が続いていたんです。もう、最後なんだから、思い切って振っていこう。ボールを入れるんじゃなく、攻めていこう。ここから逆転したらすごいぞって気持ちを切り替えました」

 そのあと、ドイツの観客の前で身長153cmの日本人選手が繰り広げたのは、村上の言葉を借りれば「奇跡としか表現できないプレー」である。第4ゲームも一度はマッチポイントを握られたが、そのビンチを強打でしのいでこのゲームを奪うと、その後は思い切ったドライブでハン・インのレシープを浮かせ、強烈なスマッシュをコーナーに決めていく。

 驚異的な粘りをみせた伊藤は4-3の大逆転で金星をあげると、その後も強豪を次々と倒し、14歳152日の史上最年少でワールドツアーシングルス優勝を果たした。

石川、福原に続いた“15歳の天才”

 1年前、平野美宇と組んだダブルスで同大会を制した天才卓球少女は、さらに大きな衝撃を世界に与えたのである。翌月の世界ランキングを一気に15位に上げた伊藤は、そのまま2015年9月の時点で石川佳純、福原愛に続く日本人3位のランキングを維持し、リオ五輪代表の座を射止めたのだ。

 2012年のロンドン五輪女子団体戦で、福原と石川、平野早矢香を日本卓球初の銀メダルに導いた村上は「3人目の代表に伊藤が入ってくるとは1年前には思ってもいませんでした」と、自らも運営に関わる卓球私塾「関西卓球アカデミー」に所属する中学生の成長に驚きを隠さない。

「4年に1度のチャンスしかない五輪代表になるために最も必要なのは『運』です。でも、運をたぐりよせるには、準備が必要なんです。まだ15歳になったばかりですが、伊藤は五輸代表になるための準備をしっかりと積み上げてきたのです」

【次ページ】 母「私なんかが卓球をやってる場合じゃない」

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