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「化け物のような選手に育てたかった」“天才・伊藤美誠”を鍛えた母の“鬼レッスン”「幼稚園生で1日7時間練習」「自費で中国遠征」
text by
城島充Mitsuru Jojima
photograph byAsami Enomoto/JMPA
posted2021/08/05 06:02
混合ダブルスで金メダル、シングルスで銅メダルを獲得した伊藤。団体女子では日本のエースとして打倒中国を目指す
対応力を磨いた、セオリーにとらわれない母の指導
小学生のころから伊藤のプレーを見てきた村上は「セオリーにとらわれない母親の指導が、伊藤の技術の確かさ、とりわけ対応力につながっている」と語る。
「対応力があるから、苦手な戦型が少ないんです。どんな局面でも、自分のプレーに不安を抱くことがないメンタルの強さも、母親の指導の賜だと思います。今のトップ選手は、親が熱心に指導したケースが多いのですが、伊藤の場合は母親の情熱とオリジナリティという点で突出しているのではないでしょうか」
伊藤の名が卓球界で知れ渡ってくると、美乃りのもとに息子や娘に卓球を教えて欲しいというオファーが届くようになった。だが、彼女はそのすべてに、首を振った。
「申し訳ありませんが、お子さんの命を保証できませんから」と。
「東京五輪で、金メダルを獲ることが人生最大の目標」
ロンドン五輪で日本の卓球界が初の銀メダル獲得に沸いたとき、伊藤はまだ小学6年生だった。世界ランキングもまだ3ケタだったと、本人は記憶している。
「シングルスは現地で観戦し、団体戦は帰国してからテレビで見て感動しました。私もあんな舞台でプレーしたいと思い、いろんな場所で4年後のリオに出たいと言いましたが、心の中では難しいだろうなと思っていました」
意識が変わったのは、東京が2020年夏季五輪の開催地に選ばれてからである。
「19歳で迎える東京五輪で、金メダルを獲ることが私の人生最大の目標になりました。その日標を達成するために、オリンピックという特別な舞台を東京までに経験しておきたいと思ったんです」
もちろん、五輪代表をめぐる争いは甘くなかった。
小学生のころから海外遠征に慣れているとはいえ、ランキングポイントを常に意識しながらワールドツアーを転戦するのは、14歳の少女にとって過酷な挑戦だった。
「5月半ばからベラルーシ、クロアチア、フィリピン、オーストラリアと4連戦したときはきつかった」と、伊藤は振り返る。
ベラルーシで優勝、クロアチアでも3位に入ったが、続くフィリピンは初戦敗退、オーストラリアも2回戦で姿を消した。
「フィリピンで辛いものを食べたせいで胃腸がおかしくなって、体が動かなくなりました。ドイツで優勝したことと、結果的にハードな海外遠征を乗り越えられたことが、代表切符につながったと思います」