オリンピックへの道BACK NUMBER
「絶対投げ出さない」父との約束を胸に5大会連続五輪出場 重量挙げ・三宅宏実が懸ける“競技人生最後の日”
posted2021/07/18 17:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
JIJI PHOTO
東京五輪を「集大成」と位置付ける選手たちがいる。競技人生で最高のパフォーマンスを、という一念を持って集大成と表現する選手、この5年間の積み重ねを披露する場として表す選手、そして競技人生で最後の大会であるからこそ集大成と語る選手もいる。
ウエイトリフティングの三宅宏実にとっては、競技人生最後の日と見定める大会だ。
現在は35歳。競技生活は、もう21年になる。オリンピック出場は2004年のアテネから5大会連続。谷亮子に並ぶ夏季五輪2人目の最多出場記録だ。
父は1968年メキシコ五輪銅メダルの三宅義行、伯父は1960年ローマで銀、1964年東京とメキシコで金メダルを獲得した三宅義信。きょうだいは兄2人とも競技に打ち込んだ。まさにウエイトリフティング一家に生まれた。
ただ、もともとは音楽大学出身の母の影響でピアニストを目指していて、ウエイトリフティングと無縁の道を歩んでいた。転機は中学3年生のとき。テレビでシドニー五輪の開会式を観ていて、「ここに私も立ちたい」と思った。じゃあ何の競技を……そのとき思いついたのがウエイトリフティングだった。
当初、父は反対だったが、練習してさほど間もなく、自分が高校1年生であげた記録をクリアする姿に覚悟を決めた。そのとき約束を交わした。
「絶対に投げ出さないこと」
以降の歩みは、実直そのままに父との約束を守り築いた歴史だった。
繊細な競技だから続けられた
何よりも競技人生を支えたのは、競技そのものから得られた魅力だ。
「10g、20g体重が違っても、バーベルが重く感じられたりするくらい、繊細で奥深い競技です」
かつて目指していたピアニストの世界も繊細そのもの。そこに共通する要素があり、三宅の性分に合っていた。
右肩上がりに成長しつつ、挫折も何度も味わった。2006年世界選手権で銅メダルを獲得し、「メダルを獲ります」と誓った2008年北京で6位にとどまった(2018年に上位選手2名のドーピング違反が確定し、最終順位は4位)。競技を父に認めてもらったとき、かわしたもう1つの約束は「北京でメダルを獲ること」。それをかなえられなかった。