スポーツまるごとHOWマッチBACK NUMBER
「酷評の嵐。私、ますますやる気が出てしまいまして」 社長の妄想から生まれた“少しお高い”アーチェリーの名機
posted2021/07/11 11:00
text by
熊崎敬Takashi Kumazaki
photograph by
NISHIKAWA SEIKI Co.,Ltd.
器具を用いる競技では、自国における優れたメーカーの有無が勝負を大きく左右する。アーチェリーも例外ではない。韓国39に対して日本5という五輪のメダル総数も、そのことに起因する。だが、東京・江戸川区の町工場が生み出した「Sakura SH-02 H25」(税込14万8500円)は、後進国日本のアーチェリーを変えるかもしれない。
物語は「西川精機製作所」の社長、西川喜久がアーチェリーを始めた、11年前に遡る。
「四十の手習いで練習会に通い始め、アメリカ製のメジャーな弓具を購入しました。もう、おもちゃを手にした子どものように嬉しくて」
そして、いつもの職業病が始まる。
「器具を手にすると、材質はなんだ、この穴の意味はなんだという果てしない妄想が始まり、日本製がない悔しさもあって、それなら自分が作ってやろうと思ったわけです」
かつて日本では、ヤマハ、ニシザワなどが最高品質の弓具を製造していたが、2000年代前半にすべてのメーカーが撤退していた。
ダメ出しをするということは、可能性があるということ
試作機第1号を作った西川は、伝説の技術者、本郷佐千夫に面会を申し込む。だが……。
「もう酷評の嵐。でも本郷さんは、“ここがなぜ11mmなの?”といったダメ出しを延々とされた。ダメ出しをするということは、可能性があるということ。そう解釈して私、ますますやる気が出てしまいまして」
その後、西川は三顧の礼を尽くして、本郷を技術顧問に迎える。すると本郷、さっそく大胆なことを言い出した。アーチェリーは金属性のハンドルにリムと呼ばれるカーボンと木の複合素材が接合されてできているが、「接合部が過去何十年も変わってないのは、おかしいと思わんかね。ここを変えれば、アーチェリーの世界が変わるかもしれんぞ」。
この競技の課題は、弦を弾いたときに生じるブレ振動。それが狙いを微妙に狂わせる。西川と本郷は、接合部の構造を穴に変えることでブレ振動を大きく低減させることに成功する。近隣の町工場も、開発に手を貸した。
'20年、究極の名機Sakura SH-02 H25の誕生。だが、西川は満足していない。というのもコロナによって競技が止まり、その性能を披露する機会が失われてしまったからだ。
「万が一、道端でアーチェリー部員を見かけたら、いいのがあると声をかけてください。すべてが国産なので、少しお高いですが」
ほとばしる情熱で、町工場の社長が難局を切り拓こうとしている。