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三笘薫「使命感、自然体」 旗手怜央「カオルの存在が僕を…」 “もう1つの大舞台”ACLを東京五輪へのブーストに
text by
いしかわごうGo Ishikawa
photograph byEtsuo Hara/Getty Images
posted2021/06/26 06:00
フロンターレで成長を果たした三笘薫(右)と旗手怜央。ACL、東京五輪ともに活躍が見逃せない(2020年撮影)
攻撃的なポジションを幅広くこなせるアタッカーではあるが、タレントがひしめく東京五輪世代では、そこまで秀でた存在だったわけではない。ただ同期の三笘同様、川崎でコンスタントにJ1での出場機会を掴むことで、名乗りを上げた。
“1年延期”によって評価を上げられたワケ
「1年延期になったことが僕自身、すごく有利に働いたと思います。この1年間で、フロンターレで試合に出て、去年の終わりから今年に入ってからはサイドバックの経験もできました。1年延期となったところで、僕自身が評価を上げられた。それが大きいと思います」
本人も認めるように、昨年終盤にコンバートされた左サイドバックによって、複数のポジションで計算できる存在になったことがグンと評価を高めた。三笘薫がスペシャリストならば、旗手怜央は高いユーティリティ性を買われての選出、という言い方もできるかもしれない。
もっとも、順風満帆に見えるが、去年の夏場から秋にかけては試合に絡めなくなった時期もあった。
川崎から選出された三笘薫と田中碧はチームを牽引する存在だったが、左サイドバックに抜擢されるまでの旗手は絶対的なレギュラーではなかったからだ。質疑応答が進む中で、苦しんでいたあの時期に大事にしていたことは何だったのか。そんな胸の思いを尋ねてみた。
「去年だけではなく、今までサッカーをやってきた中で良いことばかりではなかったですし、自分のサッカー人生は良いことの方が少なかったと思ってます。去年も出られなかった時期もありました。自分の中で決めていたのは、やり続けていくしかないな、と。毎日の練習の中で自分が持っている力を出すしかないと思っていた。苦しい時期もやり続けていたからこそ、今がある。やり続けていたことが評価されたと思っていますし、嬉しく思います」
やはり苦しい時期に思うことはあったのだろう。だからこそ、やり続けていた自分自身を誇りに思い、その胸を張っていた。そしてポジションはどこであれ、己を信じてピッチでの歩みを刻むことで、彼もまた18人の少ない席にたどり着いたのだ。
「(発表で)名前を呼ばれた時は、このチームでサッカーをやってきてよかったと率直に思いました。まだ選ばれただけですが、僕の選択は間違っていなかったという気持ちが出てきました」
「カオルの存在が僕を上に高めてくれた」
最後には、先に会見を終えた同期のスペシャリストに対する内に秘めた想いも、こう口した。