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親日家ストイコビッチは巧くてお茶目でカッコよかった… “アーセナル移籍よりグランパス”秘話と“EUROで見せた意地”とは 

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posted2021/06/11 11:01

親日家ストイコビッチは巧くてお茶目でカッコよかった… “アーセナル移籍よりグランパス”秘話と“EUROで見せた意地”とは<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

名古屋時代のストイコビッチ。EUROでも大活躍した

100人中99人はアーセナルに行くかもしれないが

<名言2>
きっと100人いたら99人の選手はアーセナルに行くかもしれない。もちろんあなたやアーセナルをリスペクトしている。でも、私は誰よりも家族を尊重したい。
(ドラガン・ストイコビッチ/Number973号 2019年2月28日発売)

◇解説◇
 1996年9月末、名古屋グランパスエイトを去るアーセン・ベンゲルに対して、ピクシーが口にした言葉だ。下位に低迷していた名古屋を一躍優勝争いできるクラブにまで押し上げたタイミングで、ベンゲルはアーセナルからの就任オファーを受けた。

 智将はストイコビッチを連れ添ってロンドンへと渡ることを希望し、ベルカンプやアネルカらとどう“共存”するかのプランを提示したという。しかしピクシーの返答は「NO」だった。その理由として「子どもたちはすでに名古屋で学校に通い始めていた。(中略)そこでまたすぐにロンドンに行って新しい生活をする。それは家族にとってすごく難しいことだった」と明かした。

「私は父であり、夫であった」

 今では大の親日家で知られるピクシー。ピッチだけでなくプライベートでも強い芯を持っていたのだ。

<名言3>
日本サッカーはいつまでも一般道を走っていちゃいけない。ハイウェイに乗って、早く目的地に向かって行かなければならないんだ。
(ドラガン・ストイコビッチ/Number725号 2009年3月19日発売)

◇解説◇
 名古屋グランパスで監督を務めた“ピクシー”が選手たちに要求したのは、攻撃的なサッカー。そこに到達するための「ハイウェイ」に乗るためには「フットボール・インテリジェンス、つまりサッカーについての知識、経験といったような内面的な要素が必要」だと語っていた。

「難しいかもしれないが、導いてくれる人間さえいれば、不可能なことなど何もないんだ」。その言葉通り、2010年シーズン、グランパスをリーグ制覇に導いてみせた。

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