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引退を伝えると親友・細貝萌は泣いた…イランなど7カ国でプレーした赤星貴文が激動の半生を語る【妻とはポーランドで出会う】
posted2021/06/10 11:01
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
J.LEAGUE
親友であり、戦友であり、ライバルであり、もっと言えば同志であり。
赤星貴文にとって細貝萌は一言であらわせないような存在である。
同じ1986年生まれで、U-16日本代表のときからウマが合って、浦和レッズに行くときもお互いに相談していた。レッズの寮では、どちらかの部屋に入り浸っていたとか。ボランチを本職に置くのも同じ。一緒にプレーしたのは最初の数年間だけだったが、関係はずっと続いた。赤星が先に欧州に渡り、細貝も後にドイツへ。レバークーゼンからのオファーに対して「行くべきじゃないのか」と後押ししたのも彼だった。体調不良で体重が7kgも落ちた親友を心配して所属先のタイから駆けつけたこともあった。細貝がタイのブリーラム・ユナイテッドに移籍する際もアドバイスを送っている。
家族ぐるみで付き合い、何でも話せるし、何でも分かる仲。そんなヤツ、なかなかいない。
赤星が引退を決めたとき、タイにいる細貝に真っ先に告げた。
「電話で伝えたときは、泣いていましたね」
「(細貝も)何となく感じていたとは思います。それでも引退するって電話で伝えたときは、泣いていましたね。やっぱりお互いに意識していたし、刺激ももらっていたし。僕がサッカーから身を引くことを凄く残念がっていました。サッカー仲間はもちろんいっぱいいますけど、経験したことをすべてシェアできるのは細貝くらいなんです。自分の思いも分かって、泣いてくれたんだとは思います」
引退の葛藤もすべて理解してくれていた。だからこそ赤星の決断を尊重してくれた。友の涙に、こちらももらい泣きしそうになった。
タイではお互いのキャリアが再び重なるかと思いきや、そうではなかった。2019年シーズンに細貝がタイにやってくると、逆に赤星はスパンブリーを退団して、イランに移籍することになる。
「契約を1年更新していたんですけど、急にチームから“新しい選手を獲らなきゃいけなくなった”と。移籍マーケットが閉まったタイミングでしたから、プレーできるところが限られました」