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『キン肉マン』作者が還暦で柔術習得中! 「もういらんと言われるまで続けたい」【全キン肉マニアが泣いたエピソード秘話も】
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byNorihiro Hashimoto
posted2021/04/27 11:00
『キン肉マン』作者である嶋田隆司氏(左)とジム代表の宮川博孝氏。選手や自身の体験を作品にも生かしているという
“こんなおっちゃんでも頑張ってるんだ”
この20年あまりで格闘技ジムの数は激増し、選手志向ではない者、趣味として格闘技に取り組む一般会員も多くなった。それだけ指導の内容も変化している。「選手としては“いかに勝つか”がテーマですが、ジムの会員さんにはまず楽しんでもらうのが最優先。気持ちよく汗をかいて、美味い酒を飲んでもらえればと(笑)。クラスでは参加者で一番の初心者に合わせたレベルで指導します」と宮川。
嶋田は教わる側として「あ、これ前にも教わったなという内容を繰り返しやると、自分でも思い出せるんでいいですね。体で覚える、技術が沁み込む感覚というのが分かってきました」と言う。
いずれ柔術の試合にも出たいそうだ。“キン肉マンの父、試合デビュー”である。
「勝っても負けてもいいから、とにかく出ることに意味があると思ってますね。“こんなおっちゃんでも頑張ってるんだ”ということを見せられれば」
選手たちから聞いたそれぞれの“キン肉マン体験”
ゆでたまごの2人は高校を卒業するとすぐに週刊少年ジャンプで『キン肉マン』の連載を始め、大阪から上京した。
「田舎から出てきた少年2人を一人前の漫画家にしてくれたのは『キン肉マン』を愛してくれる読者のみなさんなので。僕がこの歳で格闘技をやることで話題になるなら、それも恩返しになるのかなと」
プロレス・格闘技界には、子供時代に『キン肉マン』を読んだりアニメ版を見て育った者も多い。選手との付き合いの中で、嶋田は自分が生み出したキャラクターがどれだけ愛されているかを知ることにもなった。
「一番凄かったのはミノワマン(美濃輪育久)ですよね。ある時“ご相談があるんですが”というので食事に行ったら“ミノワマンに改名したいんです。マンをつけたら超人になれますよね”と」
選手たちからは、それぞれの“キン肉マン体験”を聞いた。好きな超人、思い出のエピソード。「この超人にもっと活躍してほしかった」という思いを嶋田にぶつける者もいた。
「そういう話を聞くと、僕にも発見があるんです。(キン肉マン)ビッグボディってこんなに人気あったのか、みたいに」