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41年前のナベツネ「モスクワ五輪は中止すべきだ」 20億円を投資したテレ朝責任者の“恨み節”「俺は失脚した」 

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近藤正高

近藤正高Masataka Kondo

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posted2021/04/24 11:03

41年前のナベツネ「モスクワ五輪は中止すべきだ」 20億円を投資したテレ朝責任者の“恨み節”「俺は失脚した」<Number Web> photograph by Getty Images

モスクワ五輪、平均台、床で金メダルを獲得したコマネチ。個人総合では銀メダルだった

 1980年2月、政府が公式見解として、この時期にモスクワ五輪に参加するのは適切ではないと示唆したのを受け、各紙の社説は、朝日・毎日が五輪参加はあくまでJOCが自主的に判断すべきと主張したのに対し、読売・日本経済・サンケイ(現・産経)はボイコットやむなしの姿勢を明確に示した。

 なかでも読売新聞は、1980年2月3日付朝刊の社説で「平和五輪を再構築しよう」と題し、五輪の根本的理念となる3つの原則――平和主義、アマチュアリズム、国家主義の排除――が、現状と著しくかけ離れていると批判しながら、具体的な提案を行っている。そこではたとえば、国家主義の排除に関して、表彰式での国旗掲揚・国歌奏楽はナショナリズム感情を煽っているとして、いっそやめてはどうかと、かなり思い切った提案もしていて興味深い。

 じつはIOCもこれと前後して、オリンピックからナショナリズムを排除する目的で、国旗と国歌の使用を廃止するようオリンピック憲章を改定し、モスクワ大会はその最初の試みの場となった(清川正二『スポーツと政治』ベースボール・マガジン社)。読売の論調が、批判したはずのIOCの行動と期せずして一致したというわけである。

渡邉恒雄「五輪は中止すべきだ」

 読売新聞はモスクワ五輪に際して、オリンピック憲章を検証したりしながら社説を10回以上にわたって掲載したが、そのほとんどはこのころ論説委員長に就任したばかりの渡邉恒雄(現・読売新聞グループ本社代表取締役主筆)が書いたものであったという。読売の主張が朝日・毎日新聞と大きく違うようになってきたのも、同五輪をめぐる報道からだと捉えられている。その旗振り役こそ渡邉であった。

 渡邉は社説では理論的体系的に書ききれないので、『文藝春秋』1980年6月号に、個人の私論を述べたものと断りながら「モスクワ五輪は中止すべきだ」と題する論考を寄稿している。全体的に辛辣な論調のなか、モスクワ五輪の独占放送権を得たテレビ朝日と三浦甲子二に対しては、放送権獲得時にはソ連のアフガン侵攻は予想できなかったのだから責任があるとは思わないと、同情的であった。それというのも、渡邉自身が文中で認めているように、三浦は長年の親友だったからでもある。

「読売新聞の社説で、俺は失脚した」

 結果的にテレビ朝日の五輪放送は44時間と、当初の計画から約5分の1にまで減った。このときには専務取締役となっていた三浦は、それでも放送権料は1度にではなく開催までの3年間に払ってきているから、経理上はともかく資金上は問題なく、テレビ朝日はびくともしないと断言してみせた(『週刊文春』1980年7月17日号)。

【次ページ】 「読売新聞の社説で、俺は失脚した」

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