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41年前のナベツネ「モスクワ五輪は中止すべきだ」 20億円を投資したテレ朝責任者の“恨み節”「俺は失脚した」 

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近藤正高

近藤正高Masataka Kondo

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posted2021/04/24 11:03

41年前のナベツネ「モスクワ五輪は中止すべきだ」 20億円を投資したテレ朝責任者の“恨み節”「俺は失脚した」<Number Web> photograph by Getty Images

モスクワ五輪、平均台、床で金メダルを獲得したコマネチ。個人総合では銀メダルだった

 3月1日にモスクワ入りした三浦はさっそく放送権獲得のための交渉に入った。このときはテレビ朝日が希望する金額を提示しないまま、わずか2時間ほどで会談を終える。MOOCの提示した金額が、事前に社内で決めたラインをはるかに超えていたからだ。しかし、3日後、テレビ朝日以外の局がJSNPを脱退したとソ連側から知らされる。これが日本テレビの専務が言っていた“報復手段”かと思った三浦は、腹をくくって交渉を進めると決め、MOOCにテレビ朝日側の希望する金額を提示した。負けを覚悟の上での決断だったという。

 このあと3月8日、NHKと民放各社の連合を代表してNHK理事の橋本忠正がモスクワに来て、MOOCと交渉したものの、橋本は各局から真の意味で全権を委任されておらず、独断で契約にサインすることができなかった。そのため最終段階で話が揉め、交渉は打ち切られる。ここから、MOOCは翌日、三浦を改めて呼び出して交渉を再開、その日のうちに協定書の調印へと至り、テレビ朝日は独占放送権を獲得した。

「テレビ朝日1社では15億円は赤字になる」

 ソ連側とのテレビ朝日の単独交渉に他局が懸念を抱いたのは、それがJSNPへの背信行為であるだけでなく、放送権料の高騰を促すと判断したからだ。当時の日本テレビ社長で民放連会長だった小林與三次が、騒動のさなかにインタビューで語ったところによれば、ソ連側は《各国のテレビの足もとを見て、放送権料とか施設料をつり上げようとした。(中略)そこでまず、アメリカの放送3社の競争を利用して漁夫の利を得た。(中略)そういう経験のあとで日本の問題が起こった》という(『大衆とともに25年〈沿革史〉』日本テレビ放送網)。このころ、米国のNBCが払う放送権料は3500万ドルとの報道も流れていた(杉山茂&角川インタラクティブ・メディア『テレビスポーツ50年 オリンピックとテレビの発展』角川インタラクティブ・メディア)。

 テレビ朝日がMOOCに支払うことになった放送権料も、850万ドル(約20億円)と破格の額だった。これはモントリオール五輪の日本国内放送権料の約6.5倍にあたる。NHKの運動部のディレクターだった杉山茂はその額を知ったとき、何度も計算をやり直したという。とても1局で支払える額とは思えなかったからだ(松瀬学『五輪ボイコット 幻のモスクワ、28年目の証言』新潮社)。小林與三次も先のインタビューで、《テレビ朝日1社でやろうとすれば大赤字になることは決まっている。(中略)おそらく20億や15億円は赤字になるはずだ。しかし、その赤字覚悟であえてやろうというのなら、やらせたらいいではないか》と突き放すような発言をしている。

 契約後、テレビ朝日は他局から激しい非難を浴びたが、強気の姿勢は崩さなかった。オリンピック関連番組の総合プロデューサーには放送権獲得の立役者である三浦を据え、総放送時間240時間5分の大編成、129名の要員の現地派遣など、大規模な計画を組んでいった。

 しかし、それもモスクワ五輪の日本不参加によって大幅に縮小を余儀なくされる。

「朝日・毎日」と「読売・日経・サンケイ」に分かれた

 モスクワ五輪の問題に日本がどう対処すべきかをめぐっては、新聞各紙の論調も分かれた。

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