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41年前のナベツネ「モスクワ五輪は中止すべきだ」 20億円を投資したテレ朝責任者の“恨み節”「俺は失脚した」 

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近藤正高

近藤正高Masataka Kondo

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posted2021/04/24 11:03

41年前のナベツネ「モスクワ五輪は中止すべきだ」 20億円を投資したテレ朝責任者の“恨み節”「俺は失脚した」<Number Web> photograph by Getty Images

モスクワ五輪、平均台、床で金メダルを獲得したコマネチ。個人総合では銀メダルだった

 しかし、渡邉によれば、当時、自分の家へ三浦が夜中に酔っ払ってやって来て、「読売新聞の社説で日本は五輪をボイコットし、俺は失脚した」となじられたことがあったという(御厨貴・伊藤隆・飯尾潤『渡辺恒雄回顧録』中公文庫)。実際には三浦が事実上失脚したのは、1983年に放送・制作・編成担当を外され、形だけの専務となったときなので、モスクワ五輪とはタイムラグがある。それでも朝日新聞グループにおける三浦の立場が、ボイコットを境に不利になっていったところはあるのだろう。彼はこのあと1985年に急逝した。

 モスクワのあと、五輪の国内放送を1局が独占することはなくなり、次のロサンゼルス大会からは再びNHKと民放連のグループが担当するようになった。テレビ朝日のつまずきにより、1局ではあまりにリスクが大きすぎるという判断ゆえだろう。だが、もしモスクワ五輪を日本がボイコットせず、テレビ朝日が成功していたらどうなっていただろうか。前出の元NHKディレクターの杉山茂は、《日本のオリンピック報道の流れは変わっていた。民放の商戦のステージになったことは間違いない。確実にいまの金額より大きくなっている》と推察している(前掲、『五輪ボイコット』)。

 日本向けの放送権料は、各局による共同体制のおかげでまだ抑えられているとはいえ、ロス五輪以降、放送権料は大会運営のための重要な資金源と位置づけられ、高騰の一途をたどった。巨額の放送権料を払っている米国のテレビ局は、五輪の開催時期や競技日程についても決定権を握っていることは、よく知られる。モスクワ大会は、五輪がそんなふうに変わっていく発端でもあった。

 なお、先述のとおり、IOCは国旗・国歌廃止を目指してオリンピック憲章を改定したが、直後のモスクワ大会でこそ、ソ連への抗議の意もあって西側諸国を中心に開閉会式や表彰式で国旗や国歌を使わない国が目立ったものの、ロス大会では再びほとんどの国が国旗と国歌を使用した。五輪は本来の理念に反して、いまなおナショナリズムと分かちがたく結びついている。(敬称略)

(【初回を読む】<ウイグル問題>北京五輪ボイコット論で思い出す 「41年前モスクワ五輪の悪夢」“不参加”を決めたJOCの悲しい本音 へ)

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