濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
「お母さんにも連絡がつかなくて…」 宮城県利府町出身の藤本つかさが震災後の試合で感じた“プロレスの役割”
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byNorihiro Hashimoto
posted2021/03/11 06:00
宮城県利府町出身の藤本つかさは、震災から10年経った今も被災地を勇気づけている
「地震が原因で諦めるっていうのは絶対イヤ」
代替会場探しが進む中、悩みに悩んで藤本がたどり着いた境地が「最悪、どんな場所でも試合をする。どんな形でも利府町にプロレスを届ける」というものだった。
「これまでリングがなくても、マットすらなくたって試合してきたんですから。歌舞伎町の広場、神田明神の境内、走っている山手線(笑)。考えてみたらどこでもやってきましたね」
それがアイスリボン流のプロレスの広め方だった。しかも藤本は「自分で勝手に宮城代表だと思っているので」どうしても開催を中止したくなかった。
「去年のコロナの時は仕方ないと思いました。でも今回は……地震が原因で諦めるっていうのは絶対イヤなんです。そんな姿を後輩たちにも東北の人たちにも見せたくない。“地震だからしょうがない”と一度あきらめたら、すべてにおいてそうなってしまう気がして。まして開催が1年ずれて、震災10年の年。最初は観光大使就任大会、利府町を広めるためのイベントだったのに、意味が大きくなってきちゃいましたね(苦笑)」
「地震にだけは負けたくない」という共通した思い
今年1月、若いチャンピオンの鈴季すずに挑戦し、ベルトを巻いたのも「団体旗揚げ15周年というだけでなく、震災から10年の今年は自分が前に出なきゃという気持ちがどこかにあったのかもしれない」と藤本は振り返る。
2月末から開催準備のために利府町に戻った藤本。月が変わり“10年後の3月”になると朗報が訪れた。自治体関係者の協力もあり、会場修理の日程が早まって予定通り利府町総合体育館メインアリーナでの開催が可能になったのだ。
「地震にだけは負けたくない」という思いは、やはり藤本だけのものではなかったのだろう。次のテーマは、チャンピオンベルトを巻いて故郷のリングに上がることだ。3月27日の後楽園大会で、藤本は2018年に自分からベルトを奪った雪妃真矢の挑戦を受けることになった。地元凱旋への大きな関門だ。だが、いま藤本つかさが女子プロレス界の最前線で闘えば、それ自体が東北へのメッセージになる。
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