濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
「お母さんにも連絡がつかなくて…」 宮城県利府町出身の藤本つかさが震災後の試合で感じた“プロレスの役割”
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byNorihiro Hashimoto
posted2021/03/11 06:00
宮城県利府町出身の藤本つかさは、震災から10年経った今も被災地を勇気づけている
女の子が「サインしてください」と差し出したのは
ある会場で「このチャンピオンベルトに触ると幸せになれます」と言ったら子供たちが藤本のお腹に駆け寄ってきた。小学生の女の子が「サインしてください」と差し出してきたのが洋服の袖だったのも忘れられない。
「“他に書いてもらうものがなくて”って。私物は全部、津波に流されちゃったっていうことですよね……」
世の中には悩んでいる人、苦しんでいる人がたくさんいる。そもそも働いて生活すること自体、楽ではないこともある。そんな人たちの支えと言ってはおこがましいかもしれないが、プロレスが何かいい影響を与えるものでありたい。藤本はそう考えている。
取締役就任は2015年。東京スポーツ認定の女子プロレス大賞も受賞した。昨年は利府町の観光大使に任命されている。“世の中”を向いてプロレスを広めてきた藤本への、故郷からのご褒美だった。
2月に起きた地震で大会開催の危機が
だが昨年4月に予定されていた、利府町での「任命記念大会」はコロナ禍で延期となった。あらためて今年4月18日の開催となったが、2月13日に東北を震源とする地震が発生。数日後、会場の利府町総合体育館に破損が見つかり、使用できなくなったという連絡が入った。利府町観光大使としての大会だから「なら隣の仙台市内で」というわけにもいかない。
「総合体育館のサブアリーナなら使えるそうなんですけど、それだと小さすぎるかなぁ、と。地元の人たちにプロレスを見てほしいし、県外から来てくれるプロレスファンの人たちには私が育った利府町を見てほしい。そうなるとある程度の大きさが必要で」
町内の回覧板に載せるポスター画像をチェックしていた矢先の知らせだった。「去年もガッカリさせちゃったのに」と、すぐには実家の両親に連絡ができなかったと藤本は言う。事情を知った父は「なんだろうねぇ、呪われてんのかな」と苦笑するしかなかったそうだ。