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「ホークスが万年Bクラスだった時代を知る男」49歳小久保裕紀・新ヘッドに一番“尻を叩かれそうな”若手は…
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph bySankei Shimbun
posted2021/01/28 17:02
ダイエーホークス時代の小久保裕紀(98年の契約更改)。93年ドラフト2位でホークス入り
2003年は右膝の大怪我でシーズンは一度も出場できなかった。ただ、どんな困難が目の前に立ちふさがっても、小久保は必ずそれを乗り越えてきた。強いリーダーシップも発揮した鷹のキャプテン。いや、主将を務めたのは2004年から3年間プレーした巨人の方が先だった。生え抜き重視のチームにあって異例の抜てきだった。
ファンは輝かしい実績や肩書に基づき、小久保をレジェンドと崇める。一方で共に戦った選手たちは試合以外の姿勢に胸打たれることが多かった。
とにかく練習の虫。
栄光の陰には確かな裏付けがあることを、同じユニフォームを着て戦う者たちは知っている。チームの4番で、キャプテンで、もう大ベテランでも「そこまでしないといけないのか」と毎年のキャンプ取材でただただ見入ったのを憶えている。
小久保は「俺は不器用やからな」と、いつも言っていた。
『天狗のススメ』
猛練習の基礎が身についたのは遡ること中学生時代。当時所属していたボーイズリーグのチームの練習量がとにかく物凄かった。あまりのハードさに同級生18名のうち卒部まで残ったのは小久保を含めて2名しかいなかったという。
ただ、プロに入って若かった頃は、未熟な自分もいたと振り返ったこともある。
「2年目にホームラン王を獲った時なんて『地球は自分のために回っている』と勘違いしていた(笑)」
しかし、それも人生の1ページの中に、必要なことだったとも言った。
「天狗になって初めて、鼻っ柱を折られる。だから若い選手に『天狗のススメ』をすることがあった。天狗になるということは、この世界で一度は成功体験があるということ。ただ、そのままでいられるほど、プロ野球は甘くない。それから謙虚になれる。初めから、ただ謙虚なだけでもダメなんですよ」
畳半畳のスペースに「1日15時間座り続ける修行」
成功と栄光ばかりの人生などない。挫折や失敗、困難などいくらでもあった。
それを含めて小久保は「人生、無駄なし」との生き方を貫いた。