プロ野球亭日乗BACK NUMBER
梶谷隆幸の“2面性”が巨人を救う? 合理主義者が骨折しても試合に出たワケ【澤村拓一とトレード話の過去も】
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph bySankei Shinbun
posted2021/01/23 11:02
入団記者会見で満面の笑みを見せた梶谷
澤村拓一との交換トレードを水面下で探った
原監督が3度目に就任した19年からチームの再編を続ける中で、重要な補強ポイントとして挙げられてきたのが「打てる左の野手」だった。特に長年、ユーティリティー的に打線を支えてきたベテランの亀井善行外野手の年齢的な問題もあり、その代役を務められる外野手の補強は大きなテーマだった。
そこで原監督就任1年目には広島からFAとなった丸佳浩外野手を獲得。そして丸と共に坂本勇人内野手、岡本和真内野手の右打者2人とセットを組める、もう1人の左の強打者として目をつけたのが梶谷だったのである。
実は19年に巨人が本格的に梶谷獲得のために動いた時期があった。
ADVERTISEMENT
この年の梶谷は前年8月に右肩を手術。その影響もあってか開幕から絶不調で5月からは二軍で再調整を余儀無くされるなど、春先からくすぶる時間が長く続いていた。
そこに目をつけたのが巨人だったのだ。
手術した肩の状態は問題ないことを確認すると、獲得の可能性を模索。同じように一軍でなかなか結果を出せずに苦戦していた澤村拓一投手との交換トレードを水面下で探るなど梶谷獲りに本格的に動いた。最終的には獲得には至らなかったが、不振のどん底にあっても、それくらいに潜在能力を評価し、ずっとマークしてきた選手だった。
打率3割2分3厘、19本塁打、53打点
もちろん巨人同様に古巣のDeNAの評価も高かったからこそ、このトレードは幻に終わった訳で、そんな古巣の期待に応える形で梶谷自身も19年も8月末にはDeNAで一軍に復帰。その後は打線を牽引する活躍を見せ、昨年の再ブレークへとつなげた。
リーグ2位の打率3割2分3厘、19本塁打、53打点というキャリアハイの20年の成績は、なるべくしてなった結果だった。それはDeNAも巨人も同じ考えである。
だからこそ昨オフの巨人の梶谷へのアプローチは最初からのシナリオだった。一部ではヤクルト・山田哲人内野手の獲得に失敗して方向転換した結果のような報道も流れたが、巨人のターゲットは最初から梶谷に絞られていた。巨人が求める戦力パズルの欠けたピースは、まさに梶谷だったのである。
その中で練られた原監督の「1番構想」だ。