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石川祐希の言葉と行動から感じる“成長“「2021年は希望の“種”になれるように」の真意
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byPowervolley Milnano
posted2021/01/09 17:01
今シーズンはセリエAのパワーバレー・ミラノで初のプレーオフ進出を目指し戦っている
石川は今季、イタリアでの6度目のシーズンを送っており、プロ選手としては3シーズン目を迎えた。経験を重ねるごとに、プレーの進化はもちろん、話し方や発信力も変化している。
石川は星城高校2年の時に、すでにエースとして、チームを高校3冠(インターハイ、国体、春の高校バレー)に導いた。ただ当時は、コート上での堂々としたプレーとは対照的に、試合後、記者に囲まれると、聞き逃してしまいそうなほど小さな声で話していた。
中央大学1年だった2014年には初めて日本代表に選出され、その年9月のアジア大会で活躍し準優勝に貢献したが、決勝戦後にミックスゾーンで大勢の記者に囲まれた際には、後方にいた記者に「石川選手!もっと大きな声で話してください!」と叫ばれ、面食らっていた。
その年の冬、石川はイタリア・セリエAの強豪モデナに初めて短期留学し、翌年から日本代表の主力となった。特に大学卒業後にプロ選手となってからは、試合後の取材の受け答えが大きく変化した。質問者の目をまっすぐに見ながら、ゆっくり、ハッキリと話す。
「プロのアスリートとして」という言葉もよく口にするようになり、バレーボール界やスポーツ界全体を見渡した発言や行動も増えた。
「希望」ではなく「希望の種」に
昨夏、感染予防のガイドブックを作成し配布することを発表した際には、「感染が怖いからという理由で競技人口が減っていく可能性もある。バレーボールがなくなって欲しくないという思いがあったので、発信しました」と語っていた。
今回、新型コロナウイルスに感染した後の経過や心境、影響について丁寧に取材に応えたのも、まだアスリートの感染についての情報があまりない中、自分の経験を話すことが少しでも何かの役に立てばという思いがあったのかもしれない。
プラスの経験も負の経験も糧にして、アスリートとして、人として成長し続ける。
そんな中でも、人々の「希望になれるように」ではなく、「希望の“種”になれるように」と言うところが、どこか石川らしい。