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ダニエル・バードと奇跡のカムバック。一度引退した35歳の投手はなぜ復活できたのか?
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph byGetty Images
posted2021/01/02 11:00
2020年7月17日にメジャー復帰を果たしたバード。7月25日のレンジャーズ戦に中継ぎとして登板し、7年ぶりの白星を挙げた
投手にとっては歩行同然の投球ができない
バードは大学(ノースキャロライナ大学チャペルヒル校)時代から、期待を集めていた投手だった。193センチ、97キロの恵まれた体軀から投げ込まれる速球は、95マイルを優に超える。06年のドラフト1位でレッドソックスの指名を受け、09年5月にはメジャー昇格を果たしている。24歳の誕生日を迎える前のことだから、順調な野球人生だ。
先にも述べたとおり、10年から11年夏にかけてのバードは、獅子奮迅の活躍だった、10年は73試合に登板して防御率が1.93、11年は70試合に登板して、防御率が3.33。
ただし、11年9月には、早くも不吉な前兆が覗いている。6~8月の与四球が合計8個だったのに、9月だけで9四球を濫発し、0勝4敗、防御率10.64と急に乱れるのだ。
翌12年、先発にまわったバードは、制球難をいよいよ悪化させる。12試合に登板して5勝6敗。可もなく不可もない数字に見えるが、59回3分の1の投球回数で43四球8死球(38三振)という内容はかなりの惨状だ。マイナーリーグに落ちてからは、イップス(暴投を連発する、もしくは、球を投げられなくなる病)も発症してしまう。
イップスに悩まされた選手は、けっして少なくない。20世紀末、ヤンキースのチャック・ノブロック二塁手が突然、正確な送球ができなくなって左翼手に転向した(2年後に引退)のは有名な例だが、ほぼ同じころ、投手として出発したリック・アンキール(カーディナルス)も、暴投癖を克服できずに外野手に転向している。
バードの場合は、四死球の濫発が引き金になったわけだが、心理的要因が大きいだけに対処がむずかしい。投手にとっては歩行同然の投球という動作が、ある日突然、思うようにできなくなるのだ。これは、健常者が、歩くたびに膝の曲げ伸ばしを意識したり、足を踏み出す角度を意識したりしなければならなくなる苦境に近いのではないか。
1度目の引退で選んだ“意外な職業”
バードは、下手投げへの転向も真剣に考えたという。それまではオーバーハンドの本格速球派だったのに、地に貼りつくようなサブマリン投法を模索し、トップスピンのかかったボールで打者の眼をくらまそうとしたのだ。過去に戻ろうとするのではなく、過去を葬ろうとしたのだろう。つらい作業だ。
だが、努力は実らなかった。14年などは、レンジャーズ傘下のヒッコリー・クロウダッズ(シングルA)で4試合に登板して9四球、7死球。アウトを2つしか取れず、防御率175.50というべらぼうな数字を残してしまった。結局バードは、17年、メッツ傘下のセントルーシー・メッツ(ルーキーリーグ)を最後にマウンドから去る。引退後に選んだ職業は、ダイヤモンドバックスのプレイヤー・メンター、つまりメンタル・トレーニング専従のスタッフだった。