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世界王者・村田諒太インタビュー 大学職員時代「サークル系学生の一生懸命な姿」に涙した理由
posted2020/12/20 11:01
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
Shigeki Yamamoto
村田諒太が「かなり大きかった」と語る、東洋大学職員時代。学生時代には得られなかった学びがあった。
2008年に卒業して学生から職員になった彼は学生部に配属されている。北京オリンピック出場の目標が断たれてボクシングをやめて社会人になり、不慣れなパソコン業務をこなしつつ、運動部やサークルを担当して学生たちの窓口になっていた。
東洋大学には学生課外活動育成会というものがある。
学校のオフィシャルサイトには「学部学生の皆さんを会員として、課外活動を通じた学生生活の充実とキャンパスの活性化を目的に、自主的な学術・文化、体育活動への支援を行います」とあり、学生担当の村田は課外活動のアイデアを学生から募る役割を担った。
学生たちの熱を間近で感じた
大学のダンス系サークルが集まって「ダンスダンスダンス」という企画が採用された。彼は当初あまり気が進まなかったという。
「大学時代は体育会にいたので、サークルの学生と交流することもあんまりない。というか、ちょっと苦手でしたよ。だってサークルって遊びみたいなもんでしょ、みたいな印象があったので。
それでダンス企画を僕が担当にすることになったら、僕の勝手な印象と全然違ったわけです。みんな真剣だし、熱心だし。大阪で公演することになって、僕も学生たちと一緒に道頓堀で“よろしくお願いします”ってイベントのビラを配りました。最初はこっちも恥ずかしい気持ちとかありましたけど、学生たちが一生懸命にやろうとしている姿を見て、ちゃんと手伝わなきゃなって思わされました」
学生たちの熱を間近で感じることができる新鮮な喜びがあった。
学食のスペースが1つ空いたときに「おむすび屋さんをやってみたい」と申し出てきた学生たちがいたそうだ。企画が採用されて実際に店をオープンしたが「すぐに終わってしまった」とか。