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羽生善治・藤井聡太…2人の天才を見守ってきた“将棋盤工場”の父と子 “苦しい時代”から将棋ブームの先へ
text by
茂野聡士Satoshi Shigeno
photograph byTadashi Shirasawa/Satoshi Shigeno
posted2020/11/01 17:04
羽生善治と藤井聡太。2人の天才は将棋界を動かし、そしてその波に対応してきた工場がある
畳の部屋がなくなって、売れる将棋盤も変わった
2人の天才棋士の台頭が、茨城木工にとっての僥倖だったことは間違いない。
その一方で、2人が台頭したそれぞれの時代性が、将棋盤の“トレンド”も変えているようだ。羽生七冠誕生時の1990年代中盤、畳の部屋の家庭が多かった。そのため足つきの将棋盤を買っていく人が多かったのだという。しかし藤井二冠の躍進が続くここ数年間について、謙二郎さんはこのように話す。
「足のついたものっていうのは、畳の上、もしくは縁側……『縁台将棋』って言葉があるようにね、要するに座ってやるゲームですよね。ところが今は畳の部屋がなくなって、腰掛ける生活でしょう。そうすると、テーブルの上で“厚いもの”は使えない。卓上盤が主流になったんですね。羽生さんの時はまだ半分くらい足の付いたものだったけど……今は圧倒的にテーブル盤だね」
時代が変われば、将棋盤のトレンドも変わっていく――2人のスター棋士の誕生に対応した茨城木工は、そのノウハウで「1週間で3000枚くらい作れますよ」(大輔さん)という。ただその一方で、謙二郎さんは自分たちの魂を込めた商品について、原料の木材を手にしてこう熱く語っていた。
「これ、ただの木ですよね。ただの木だけど、どんな木でも将棋盤になるんですよ。ただの板っぱしが、さーっと将棋盤の目を印刷して出てきたときに……命が吹き込まれるんですね。将棋っていう。赤ちゃんと同じなんです。そこは私が魅せられたところのひとつなんでしょうね」
変わらないものづくりが、変わりゆく将棋界を支えた
それほど多くの将棋盤を、どうやって生産しているのか――その工房を見せてもらった。
入った瞬間、一面に立ち込める“木の匂い”。そして昔ながらの工場の雰囲気の中で、それぞれの役割を託された職人さんたちが、一心不乱に作業に没頭している。木材をミリ単位で整え、キレイな四角形になった木に「9×9」の盤目が盛られていく。駒台も丁寧かつきめ細やかに作られている。
もちろん機械の力を借りる部分はあるが、その日の気温によって乾燥させる時間を分単位で変更するなど1枚1枚に手作りのエッセンスがしっかりと込められていた。それはきっと、約60年の時を経ても何も変わらず、しかし大きく変貌する将棋界を支えた“ものづくり”の源なのだろう。