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「昭和っぽい経歴」「野性の本能」に技術と理論が融合 勅使河原弘晶、世界挑戦への新境地
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph byNaoki Fukuda
posted2020/10/10 11:01
「強くなりたい」と言葉にする勅使河原弘晶(左)は河村真吾を下し、世界挑戦へ前進した
少年院を出て輪島功一ジムの門を叩いた
恵まれない幼少期を過ごした勅使河原は少年院でボクシングに出会った。“炎の男”として昭和の時代に人気を博した元世界王者、輪島会長の著書を読んで人生を変えようと思った。少年院を出ると輪島功一ジムの門を叩き、21歳でプロボクサーになった。その恩人である輪島会長に事情をよく説明し、8月に三迫ジムに移籍して加藤トレーナーと正式にタッグを組んだ。今でも「輪島功一」とトランクスに名前を入れ、師匠への変わらぬ尊敬の念を表している。
若き敏腕、加藤トレーナーが腕を振るう三迫ジムは現在、日本と東洋太平洋を合わせて1つのジムとしては歴代最多となる8人の王者を抱えている。ジム躍進の立役者の1人が加藤トレーナーであり、他ジムではあるもののWBC世界ライト・フライ級王座を7度防衛中の寺地拳四朗(BMB)をサポートしていることでも注目を浴びている。
勅使河原がこの日に披露した、ぴょんぴょんと小刻みにステップを踏みながら相手にプレスをかけ続けて後半に仕留めるスタイルは、よく見ている人なら拳四朗が加藤トレーナーと磨いたボクシングにとてもよく似ていたと気づいたはずだ。
本能のボクサーに融合する理論
勅使河原は新たなスタイルを次のように説明した。
「(加藤トレーナーに教わって)具体的には足を使えるようになった。今までの自分は東洋太平洋チャンピオンなのにバックステップもちゃんとできなかった。今日はいっても(攻めても)下がって距離を取り、打たせず打つボクシングができたと思う」
勅使河原はもともと運動能力が高く野性味あふれる動きが魅力で、どちらかといえば「本能で戦っている」というイメージの強いボクサーだった。そのボクシングに今、確かな技術と理論が融合しようとしているのである。