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天才は藤井聡太だけではない “振り飛車のカリスマ”藤井猛が作った常識破りの「システム」
text by
高川武将Takeyuki Takagawa
photograph byKYODO
posted2020/09/16 08:00
2000年12月26日、竜王戦で羽生善治五冠(右)に勝利し、3連覇を果たした藤井猛竜王(肩書はいずれも当時)
研究会で藤井システムを徹底解剖し始めた
藤井システムが登場すると、他の多くの棋士が「これは使える」と安易に真似をした。だが、藤井の頭の中にしかない「新定跡」を指せる者はいなかった。
ただ1人、ほぼ完璧に指しこなせたのは、羽生だけだった。
だが、時代は皮肉な曲線を描いていく。
'01年、その羽生に竜王を奪われる。その頃から棋士たちはチームで研究会を行ない、藤井システムを徹底解剖し始めた。寄って集って丸裸にされ、攻略法は1日で駆け巡り、藤井は思うように勝てなくなっていく。
激烈な情報戦を繰り広げる現代将棋の先駆けにもなってしまったのだ。
手塩にかけて育てたわが子がいたぶられているような様を、藤井は苦々しい思いで見ていた。修正に修正を施し、何とか'06年の朝日オープンで羽生の挑戦者になったが敗退。
「あれがシステムの最後の花道でした」
将棋のネイティブスピーカーではないからこそ
同年秋のA級順位戦で羽生に大逆転負けを喫したとき、藤井は持ち駒を盤上にぶちまけた。その口惜しさは、終盤でミスを犯した自分への不甲斐なさだけではなかっただろう。
もがき苦しんだ5年を経て、棋風改革に乗り出した藤井は、今、新たな活路を見出しつつある。以前は絶対にやらないと公言していた本格派の居飛車矢倉を、3年前から指し始めた。
人真似を嫌う藤井らしい独自の新工夫が施された攻撃的な矢倉囲い戦法には、「新藤井システム」の萌芽がある。
「藤井さんほど将棋を考えている人はいない。エリートの棋士が素通りすることにも引っかかりを覚え、1人で耕してしまうんです」
20年来の親交がある行方尚史八段の弁である。
スタートの遅れというハンディのあった藤井は、いわば将棋のネイティブスピーカーではなかったからこそ、愚直に考え続けることで、斬新な戦法を編み出せたのだ。