オリンピック4位という人生BACK NUMBER
<オリンピック4位という人生(15)>
ロンドン五輪 柔道・福見友子
posted2020/08/16 11:30

女子48kg級準決勝で敗れ、しばし宙を見つめる福見友子(上)。
text by

鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
AFLO
Number989号から連載スタートした『オリンピック4位という人生』を特別に掲載します!
福見友子が初めてオリンピックの舞台に立ったのは、2012年7月28日のことだった。あの田村亮子に勝ってから10年が経っていた。
柔道・女子48kg級は準決勝を迎えていた。白い道着の福見は入場を待ちながら会場の照明を浴びていた。じっと宙を睨んだ視線は真紅と淡黄に染められた畳の色彩にも、対戦相手にも、その場にある何にも向けられていないようだった。
《普段通りに、いつも通りにやれれば勝てるんだと自分に暗示をかけていました。世界選手権も優勝して、これ以上ないというくらい練習してきて、だからいつもの自分を出せば勝てるんだと……》
その眼はあるべき自分だけを見ていた。27歳。オリンピックは初出場だったが、福見は同時に“世界王者”でもあった。
この4年間、外国人選手に1度しか負けておらず、直前の国際大会も制した。福見は圧倒的な金メダル候補として、段重ねになった多くの願いを背負い込んでいた。誰よりも福見自身が自分に期待していた。
準決勝の相手は過去4度の対戦で一度も敗れたことのないルーマニアのドミトルだった。福見は畳に上がるまで宙を睨んだまま、横にいる相手を一瞥もしなかった。ドミトルがちらちらと観察するような視線を送っていたことにも気づかなかった。
審判にも、自分にも納得がいかない。
「始め!」の合図とともに福見は前に出た。慎重に腰を引きながら、奥襟をつかもうと狙ってくるドミトルの組手をかわしながら攻めた。いつも通りに……。
だが、開始から30秒。主審の待ったがかかり、開始線に戻ると、なぜか福見に「指導」が来た。最少ではあるが、ポイントでリードされたことを意味する。それまで無表情だった福見の顔がわずかに動いた。
《最初の「指導」は勝敗に大きく影響するので、それを取られないようにという対策はずっとやってきたはずでした。相手の審判への見せ方のうまさでやられてしまった……。そのやり方にも、審判にも、自分にも納得がいかないという気持ちでした》
戦いはいつも通りではなかった。
外国人選手は多くの場合、前半に勝負をかけて後半は息切れする。だからたとえビハインドになっても、攻め続ければ最後には相手が折れる。そうやって勝ってきた。
だが、この日のドミトルの執着は断ち切れそうになかった。襟に食い込んだ指先からそれが伝わってきた。想像を超える相手の姿が、福見から冷静さを奪っていく。たったひとつの「指導」が重くのしかかる。
このまま攻め続け、相手にも指導を受けさせて五分に持ち込むのか。有効や技あり、一本を狙って一気に逆転するのか。落ち着かない思考が早足で巡った末、1分30秒、福見は得意の背負い投げや小内刈りではなく、どういうわけか大外刈りにでた。