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長州力に聞くプロレスマッチメイクという仕事 「おい、何が聞きたいんだ? 本当に『Number』なんだろうな?」
text by
井上崇宏Takahiro Inoue
photograph byTakeshi Yamauchi
posted2021/05/06 11:01
'82年に勃発した藤波辰爾との抗争では感情むき出しのスピーディーな戦いで名勝負を連発
「結局、俺は定食屋のオヤジだよ」
「結局、俺は定食屋のオヤジだよ。それぞれの選手がどういうタイプかをすべて把握した上で、きっちりと料理していくっていう。まあ、前座はありものを組み合わせただけの日替わり定食だろうけど、作るって言ったってそこは素材ありきだよ。いかにいい食材を使って料理するかが大事であって、そこで客が『うまい!』と言ったメニューをどんどん押していくわけだ。それで最終的にそのメニューをどこに持っていくかといえば、その頃には東京ドームもできていたから、あそこにおいしい料理を運んで持っていくってことだろうな。
やっぱり両国(国技館)とか横浜(アリーナ)とはキャパが違うわけだから、ドームともなれば半年前から仕込みをしておかなきゃいけない。それはちょっとしんどかったよね。それで新日本のちょっと過激な部分が出ちゃうというか、ドームを成功させるためには過剰にやらざるをえない場面だってあるわけだ。そこがその時代の魅力だったと感じた人たちもいるだろうけど、食材自体にもちょっと負荷がかかっただろうし、仕入れにも値が張っただろうし。(ハルク・)ホーガンとか、あるいは会長(アントニオ猪木)にも出てもらわなきゃ成り立たない部分もあったわけだから。ただ、そうやって食材にカネをかけたからこそ、なんとか成功して会社も利益を上げたっていう。(坂口の声マネで)『長州よ、経費をちょっと使いすぎじゃないか?』『何を言ってるんですか! 今こそしっかりと経費をかける時ですよ!』っていつもやりあってたよな。実際に会社はどんどんイケイケになっちゃってたよね。俺自身もイケイケだったし」
「完済とは言わずに少しずつで結構ですので」
そのイケイケの極致が、1995年10月9日の『新日本プロレスvs.UWFインターナショナル全面対抗戦』だろう。当時、因縁浅からぬ関係性だった両団体がリング上で雌雄を決するということで、東京ドームは超満員札止めの観衆を集める。長州の現場監督としての手腕が最大限に評価された“仕事”である。
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「まさかドームにまで持っていけるような話ができるとは思ってもいなかったけどね。だから決める時は一気にやった。こちらにはわからない向こう側の事情があっただろうし、向こうにはわからないこちら側の状況もあった。そこでガチッとうまく噛み合ったんだろうな。俺はUインターには感謝しているし、向こうもこっちに対して感謝しただろうし。
あのあと、俺は坂口さんと一緒に銀行へ新日本の借金を完済しに行ったからな。(坂口の声マネで)『長州よ、見てろよ。今日はこの銀行のお偉いさんが出てくるからな』って。それで応接室に通されて全額を返したわけだけど、そうしたら銀行の人間は『完済とは言わずに少しずつで結構ですので、これからもお付き合いいただけますか?』って言ってきたもんな。『いえいえ、これまで大変ご迷惑をおかけしましたので、これ以上は……』、『いやあ、何をおっしゃいますか! これからも末長く』って(笑)」