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歌い継がれる『栄冠は君に輝く』
古関裕而が甲子園で感じたこと。
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byKyodo News
posted2020/06/24 07:00
古関裕而の手により誕生した『栄冠は君に輝く』は、作曲から70年以上が経った今も甲子園に響き続けている。(2019年開会式写真)
球場に立つと熱戦とメロディーが。
時は、戦後間もない昭和23年のこと。学制改革が実施されたのを機に、「全国中等学校優勝野球大会」改め「全国高等学校野球選手権大会」が装い新たにスタート。大会を主催する朝日新聞社が旧い大会歌に代わる歌を全国から募集し、5252作品の中から加賀大介さんの作詞が選ばれた。
「雲はわき」の一節から始まる叙情詩にどう曲をつけるべきか。この時、高校野球にふさわしい曲想を練ろうと、古関がひとり甲子園を訪ねたことが、自伝『鐘よ鳴り響け』(日本図書センター)に記されている。
「無人のグラウンドのマウンドに立って周囲を見回しながら、ここにくり広げられている熱戦を想像しているうちに、私の脳裏に、大会の歌のメロディーが湧き、自然に形付けられてきた。やはり球場に立ってよかった」と。
代表としての誇りを胸に土を踏む。
古関が曲を完成させた年の夏、第30回大会の開会式で初めて、「栄冠は君に輝く」の旋律が甲子園に鳴り響いたのだ。
まだ一県一校が出場できる時代ではなく、この大会への出場は23校にとどまる。甲子園名物の銀傘が復活したのはその3年後。NHKによるテレビ実況中継が始まるのは5年後のこと。第33回大会には、東北予選を勝ち抜いた福島商が甲子園初出場を果たし、開会式でOBが作曲した大会歌を聴いている。
大観衆が見守る中、代表としての誇りを胸にグラウンドに立つ。初めて甲子園の土を踏んだ感激たるや、いかほどであっただろう。