マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
大人たちの「高校野球」の話ばかり。
主役の選手たちの声が聞こえない。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byHideki Sugiyama
posted2020/05/29 11:40
選手の気持ちが大切だと言いながら、選手自身の声は聞こえてこない。それで本当に選手ファーストといえるのだろうか。
もし、中止になったら……?
もし、中止になったら? おそるおそる訊いてみた。
「この前、チームのヤツと話したんですよ。もうここまで休んじゃったら、試合やってもいいパフォーマンス見せられないじゃないですか。それより、練習やりたいなって。ほんとなら、今ごろすごい練習してる頃じゃないですか。
自分たち、やりきりたいとしたら、試合より練習だよな! って。野球部なんて、土日は試合してもそれ以外の5日間は練習じゃないですか。練習ばっかりしてるんですよ。だから、まずグラウンドで練習やりきりたいよなって」
1人の球児、いや、彼が電話で話したもう1人の球児も入れて、2人の球児の“希望”だから、これが多数意見かどうかはわからない。
でも、なんだか、スッと胸に落ちた。
高校生の声がまったく聞こえてこない。
以前、このコラムで、「もし高校球児たちに選手会があったなら……」、そんな話を書いたことがある。
夏の大会は、3年生たちにとって、高校野球の「卒業式」だ。
そんな大切な場に、当の本人たちの声がまったく聞こえてこないだなんて、そんなに不自然な話はないように思う。
伝わってくるのは、大人たちの談話と、大人たちの考えた計画や構想ばかり。それらは、本当に主役たちが望んでいることなのだろうか。
大人たちの、大人たちによる、大人たちのための「高校野球」。
主役たちの存在感が、もっとあってよい。