マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
大人たちの「高校野球」の話ばかり。
主役の選手たちの声が聞こえない。
posted2020/05/29 11:40
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Hideki Sugiyama
「東日本大震災」に関わった人たちがその日を「3.11」と呼ぶように、今年、なんらかの形で高校野球と関わりのあった人たちは、この日を「5.20」と呼ぶようになるのかもしれない。
夏の甲子園が、予選から根こそぎなくなった。
球児目線でもっと正確にいえば、予選前の辛い練習の日々さえ、春先からごっそり「コロナ」に持っていかれてしまった。
もう40年以上も前に高校球児の端くれだった者として、「おくやみ」を申し上げたいと思う。
おくやみ……不謹慎な! とお叱りを受けるだろうが、この上なく大切なものを永久に失ったという意味では、ほかに代わる言葉が見つからない。
時計を40数年前に巻き戻し、自分が高校球児なら……と思いを馳せてみると、どんな気休めの励ましより、現実をありのままに表現した言葉のほうを受け入れたのではないか。そんなふうに、今、思う。
県大会はどうぞご自由に、でいいのか。
「5.20」以来、いくつか思うところがあった。
へんな話だなぁ……と思ったことがある。
予選も本戦も中止にした日本高野連が、それに代わる「県大会」のようなものは、どうぞそれぞれになさってください…。
矛盾しているような気がしてならない。
甲子園を中止にした理由の中に、「安全に万全を期することは極めて難しい」という項目があった。まったくその通りだと思ったし、中止は英断だと考えた。
では自治体単位で行われようとしている「県大会」に、同じ心配はないのか。
老朽化の進んだ球場が多く、換気のよくないロッカールームやトイレ、何よりダグアウトの通気性の悪さは、経験した者にしかわからない。