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オジュウチョウサンの覚醒にも一役。
進化を続ける馬具の今昔物語。
text by
石田敏徳Toshinori Ishida
photograph byAFLO
posted2020/05/25 08:00
今年3月の阪神SJで耳覆いなしのメンコを着用しレースに臨むオジュウチョウサン。障害戦ではJ・GI7勝を含め16勝、障害重賞は13連勝中。
フランスのエルメスに見学にいったことも。
ところで馬具といえば、フランスの高級ブランド「エルメス」が「創業時は鞍などをつくる馬具工房だった」ことをご存知だろうか?
「フランスのエルメスのお店には、昔からの馬具が飾られているアトリエがあるんですよ。『私も馬具屋なんです』とお願いして、以前、特別に見学させてもらったことがあります」というのは時田馬具の時田嘉一会長である。
世田谷の馬事公苑の近くにあった「中西馬具舗」で馬具職人をしていた嘉一さんの父・嘉夫さんが鳴尾競馬場(=阪神競馬場の前身)に派遣されて1928年に開業。その後、独立して興した「時田馬具」は業界最古の歴史を持つ老舗だ。
黙々と馬具をつくる父の背中を見て育った嘉一さん(1942年生まれ)は1965年にこの世界へ飛び込み、「タケブン」の愛称で親しまれた武田文吾調教師、パイオニア精神に富んだ浅見国一調教師をはじめ、数々の名だたるホースマンたちと一緒に仕事をしてきた。
笑い話のような試行錯誤も熱意の表れ。
今では当たり前に使われているゴム製の腹帯を日本に普及させた浅見調教師はその昔、盛夏の小倉競馬で暑さ対策のため、パドックを周回する管理馬に麦わら帽子を被せたアイデアマンだが、トレーナーのオーダーに応え、独特な頭の形状に合わせて“馬用の麦わら帽子”をつくったのは嘉一さんだったという。
「結局は『見栄えが悪いからパドックでは使わないように』と禁止されてしまいましたけどね。別の調教師さんには『馬の耳の中に小さな鈴をぶらさげる馬具をつくってくれ』と頼まれたこともありました。『耳の中でチャリンチャリンと音がすれば馬はそっちが気になって、かえって暴れなくなるんじゃないか』と言うんです。頼まれれば応えるのがこっちの仕事ですから、つくって納めましたけど、やっぱりというか、うまくいかなかったみたい(笑)」
笑い話と片付けるものではない。託された馬の力を引き出すため、厩舎の人々は心血を注ぐ。気性難などの「癖(へき)」に阻まれ、本来の能力を発揮できずにいる馬がいれば、何とか矯正できないかと考える。鈴の話は今昔のホースマンに共通する「この馬をどうにかできないか」という熱意の表れなのだ。