オリンピック4位という人生BACK NUMBER
<オリンピック4位という人生(9)>
笠松昭宏「栄光の架橋の影で」
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byPHOTO KISHIMOTO
posted2020/05/03 09:00
男子団体総合で惜しくもロシアに敗れ、4位となった笠松昭宏。自身「ほぼ完璧」と振り返る演技を見せていた。
不安を抱えたまま臨んだ選考会。
笠松がベッドに横たわっている間、体操界は急速に変化していた。日本協会は国際大会の好成績に報奨金を出すようになり、強化のムチを強めた。それにともなってこれまで燻っていた同世代の才能たちが目の色を変えて伸びてきていた。
次のアテネの舞台に立てるのか。笠松は自分がギリギリのところにいるのがわかっていた。その焦りと葛藤の中で2004年東京・代々木での代表二次選考会を迎えた。
肩の疼きは消えていなかった。鉄棒やつり輪など遠心力のかかる練習を繰り返すうちに痛みが再発した。痛み止めの注射を打ち、とにかくマットの上に立った。
選考会初日。笠松は不安を抱えながら鉄棒に臨んだ。そして「ゲイロード2」というE難度の大技を試みた、その瞬間だった。
ドスンッ。鈍い音とともに会場は静まり返った。落下。上位18人が最終選考へ進むという条件下でまさかの28位……。オリンピックへの道が途絶えた瞬間だった。
テレビで見たアテネの「金」。
代表落選の夜。東京のホテルで父と向かいあった。どういう状況なのかはお互いによくわかっていた。それでも笠松は「やめる」とはどうしても言えなかった。
「もう戦えないかなとわかっていましたけど、僕もどうしていいかわからずとりあえず続けると言ったんです。父は……本当に、ただ見守っていてくれました……」
父は相変わらず、やれともやめろとも言わずにうなずいただけだった。
そして笠松は空っぽになったままあの日を迎えた。アテネの地で冨田洋之の体が鉄棒を離れ、月面宙返りが決まったあの瞬間、日本体操が復活を遂げたあの夜だ。『伸身の新月面が描く放物線は……、栄光への架け橋だ――』