酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
球史に残る大豊作ドラフト、鉄拳。
生誕100年・西本幸雄の名将伝説。
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKyodo News
posted2020/04/25 11:40
長池徳二(右)と歓談する西本幸雄監督。昭和の親父らしい厳しさとともにこんな柔和な表情も見せていたのだ。
2年連続でカープに7試合の末……。
監督就任6年目の'79年に初優勝、翌年連覇。日本シリーズはともに広島と対戦したが、
1979年 近鉄 3勝4敗 広島
1980年 近鉄 3勝4敗 広島
と惜敗。大毎でも阪急でも近鉄でも日本シリーズで勝てなかったことから、西本は「日本一になれなかった男」という不名誉な肩書もつくようになった。
しかし史上6位の1384勝、勝率.543、20シーズンでリーグ優勝8回は文句なしの名将だった。
「プロ野球ニュース」での数奇な縁。
引退後は解説者になり、「プロ野球ニュース」にも出演した。
キャスターの佐々木信也は、西本が大毎の監督になった年に選手を整理する必要があって引導を渡した選手だった。西本は佐々木の打撃を買ってはいたが「野球以外でもやっていける男」と見込んで戦力外にしたのだ。
それから約20年後に、西本と佐々木は、今度は主客を逆転して見えることとなった。西本は佐々木の栄達を素直に喜んだという。
「プロ野球ニュース」の西本も、やはり辛口だった。
「(佐藤義則は)セーブこそ上げてるけど、ほんとうの救援投手じゃないね。先発に戻りたい、言う顔して投げている」
「今のオリックスは、チーム状態が悪いから空気が暗いね。私の顔と同じくらい暗い」
西本幸雄は「苦虫をかみつぶす」そのもののような容貌だった。しかし少し笑うと目じりや口元には、なんとも言えない愛嬌があった。関西のファンには和食レストランの「連れて行ってもらったこと、ありますか?」というCMでもおなじみだった。
「うるさ型」だが深い愛情も感じる。こういう親父さん、少なくなった。