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球史に残る大豊作ドラフト、鉄拳。
生誕100年・西本幸雄の名将伝説。

posted2020/04/25 11:40

 
球史に残る大豊作ドラフト、鉄拳。生誕100年・西本幸雄の名将伝説。<Number Web> photograph by Kyodo News

長池徳二(右)と歓談する西本幸雄監督。昭和の親父らしい厳しさとともにこんな柔和な表情も見せていたのだ。

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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Kyodo News

 2020年4月25日は、昭和の名将・西本幸雄の生誕100年である。大毎オリオンズ、阪急ブレーブス、近鉄バファローズを優勝に導いた名将だ。

 1920年のこの日、西本幸雄は和歌山県和歌山市で誕生する。3男2女の末っ子。父は銀行家で「生活には困らない」家庭だった。

 およそ1カ月前の3月23日に、熊本県球磨郡大村(現人吉市)で、川上哲治が生まれている。2人は学年こそ違え、ほぼ同年代。左打の一塁手という共通項もあったが、同世代と言う印象は全くない。

 西本は旧制和歌山中学に進む。県下随一のエリート校だったが、同時に甲子園の常連だった。西本は野球部に勧誘されたがラグビー部に入った。

 大学進学が当たり前の家柄の出である西本は、学業よりも野球を優先する野球部に入ると家族に言うことができなかったのだ。のちに野球部に転じるが甲子園には出場せず。同い年の「伝説の大投手」嶋清一を擁する海草中学に敗れた。

 対照的に川上哲治は、父が破産して苦労をするが熊本工業学校のエースとして2度甲子園で準優勝投手となる。1938年には捕手の吉原正喜とともに巨人軍に入団。投手から野手に転じ「打撃の神様」と呼ばれる大スターになっていく。

学徒出陣後、社会人野球を転々とし。

 西本は立教大に進み、戦争がはじまると学徒出陣で中国を転戦、復員後、社会人野球を転々とし大分県別府市の星野組に入った。すでに指導者の資質が目立ち、大学時代から監督を務め、星野組でも一塁手兼監督だった。

 1949年正力松太郎の発言に端を発してプロ野球の二リーグ分裂騒動が始まると、星野組も新球団として参入の手を挙げた。西本幸雄を監督にして丸ごとプロ野球チームにしようという考えだった。しかし経営難に陥った星野組はすぐに撤退する。

 チームは選手争奪の草刈り場になりかけたが、西本は毎日新聞と交渉して、荒巻淳、今久留主功、淳兄弟ら星野組の主力を毎日オリオンズに入団させた。本人は野球をやめて毎日新聞の記者になるつもりだったが、あまりの給料の安さにプロ入りを決断したという。

【次ページ】 30歳でプロ入り、そして大毎監督に。

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