マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
3年生の技を途切れさせないために。
高校球児に頼みたい「お宝」伝承。
posted2020/04/20 19:00
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Hideki Sugiyama
最近、「きずな」って言葉、聞かなくなったなぁ……って、フッと思った。
同じように「未曾有の国難」といわれた2011年の「東日本大震災」。
あの時は、きずな、絆……日本じゅうが「きずな」に埋め尽くされた。
野球の世界でも同じ状況だったので、意地悪な質問者としては、「絆って、わかりやすく言うとなんなの?」とか、「漢字でどう書くの?」とかはしたない突っ込み方をして、ずいぶんとイヤな顔をされたものだ。
別に、困らせようと思って、そうしたわけじゃない。ほんとのところ、どういう意味かも知らずに、うわべの言葉の響きの心地よさだけで、きずな……と言ってほしくなかっただけのことだった。
「絆」……自分を2番目以下に思う心。二の次に思う心でもよいかもしれない。
私なりに、そんな意味で「絆」という言葉をとらえている。「思いやり」なんて、わかったような、わからないようないい方はしたくない。
もしかしたら、あの時以上の「国難」なのかもしれない今。
インターネット上に飛び交う情報や発言の中に、「絆」という言葉をあまり見ないように思う。
例年なら実戦が始まる頃。
4月も中旬になって、いつもの年ならアマチュア野球もたけなわの季節だ。
高校野球はセンバツから各地の春の県大会に舞台が移り、大学野球も全国のあちらこちらで開幕して、社会人野球だって都市対抗を目指して、実戦が始まる頃なのだが、今年はいつもの年とは様相が異なる。
「実戦の場」 というのは、もちろん勝負をかけて奮戦することが第一義なのだろうが、同時に選手たちにとっては、自分より優れた選手や興味深く思える選手のプレーを目の当たりにして、そこから、その“ワザ”を学ぶことのできる貴重な場でもある。
とりわけ、下級生の選手たちにとっては、年長の選手からその技術を継承する場として、とても大切な学習の場となる。