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センバツ中止で「幻」となった、
中京商と岐阜商の61年ぶりの決勝。
posted2020/03/26 11:40
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph by
Kyodo News
令和初開催となるはずだった春の選抜高校野球が、史上初の中止となった。「球児の夢を奪った」という反対意見があれば「英断だった」と称賛する声もある。
阪神大震災(1995年)は大会までおよ2カ月の1月17日だったが、甲子園球場がある兵庫県西宮市も甚大な被害に見舞われた。津波や原発など、被害の大きさではそれを上回る東日本大震災(2011年)は、被災地との距離はあったが大会直前の3月11日だった。
このいずれでも開催に踏み切った高野連が、今回は断腸の思いで中止を決めた。反対意見も理解できるが、その決断の重さもひしひしと伝わってくる。
放映されなかったセンバツ決勝。
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「第92回」が史上初なら、史上唯一だったのが「第31回」。
1959年。昭和でいえば34年の大会は、中京商(現・中京大中京)と岐阜商(以下、県岐阜商)が決勝を戦ったのだが、テレビ中継が始まって以降の甲子園大会で唯一、放映されなかった。当時の皇太子、つまり現在の上皇さまご夫妻のご成婚と重なってしまったからだ。
NHK、民放問わず、全局がロイヤルウエディングの模様を生中継。地上波のみの当時では、さすがの選抜も誰にも注目されることはなかったというわけだ。隣県対決は3-2で中京商が逃げ切り、3度目の紫紺の大旗をつかんだ。そして敗れた県岐阜商には、のちに野球界のレジェンドとなる選手がいた。
「私にとっては非常に思い出深い試合です。もちろん、テレビ中継がないのは当たり前。世の中はご成婚一色なんだから。そのことよりも、リードしていたからね。雨が降っていなければ勝てたんじゃないか。そう思ったわけですよ」
今年1月に急逝したミスタードラゴンズ・高木守道氏の生前の言葉である。
県岐阜商の主将であり3番。ほろ苦い青春時代の敗戦だが、当初のスケジュールでは4月8日が決勝戦だった。ご成婚を見越して降雨強行され、3回までは県岐阜商が1-0でリード。ところが雨脚が強まり、ノーゲームになった。翌9日も雨天順延。ついに10日のご成婚と重なってしまった。