ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
中止と無観客が続く今だから考える。
猪木vs.マサ斎藤、巌流島決闘の意味。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byEssei Hara
posted2020/03/01 19:00
レフェリーすらもいない状況下で戦った猪木とマサ斎藤。両者血だらけでフラフラな状態のまま2時間以上にわたる“死闘”を演じた。
心に穴を空けたまま戦った猪木。
なぜ、巌流島での無観客試合という前代未聞の一戦が行われたのか。そこには、猪木の精神状態が深く関係していたと言われている。
当時、新日本プロレスはテレビ視聴率が低迷、猪木自身も個人的な事業による億単位の借金があり、さらに私生活でも倍賞美津子夫人との離婚問題を抱えていた。あの頃、“海賊男”の乱入による暴動事件が起こるなど、新日本が“自爆”を繰り返していたのは、ある種、自暴自棄になっていた猪木の精神状態が反映されていたのだ。
そんな中で、猪木は突如として「巌流島の決闘」をぶち上げる。当時は、猪木率いるナウリーダー軍vs.長州力、藤波辰爾、前田日明らニューリーダー軍の世代闘争が勃発している時期。そんな中、共闘していたマサ斎藤を対戦相手に選んだのは、この突拍子もないアイデアに“付き合ってくれる”のは、同世代の盟友マサぐらいしかいなかったからだろう。
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そして猪木は“決闘”の2日前に離婚届を提出。心に大きな穴を空けたまま、観客のいない、無人島に設置されたリングで、マサ斎藤と暗闇の中黙々と闘ったのだ。
この異様な一戦について、生前マサ斎藤さんにインタビューした際、次のように語っていた。
「日が落ちたのもわからなかった」
「俺もあんな試合は初めてだった。猪木からは、『野っ原で闘う』としか言われていない。あれはルールがあってないようなものよ。レフェリーもいないし、観客もいない。何時間やるのか、いつから始まるのかもわからないんだから」
そう、猪木vs.マサ斎藤の巌流島の決闘は、観客はおろか、レフェリーすらいない中で行われたのだ(山本小鉄と坂口征二が立会人として見届けた)。ルールは「己のプライドがルール」の一文のみ。当初、「日の出とともに試合開始」と言われていたが、試合開始のゴングもなく、実際に闘いがスタートしたのは、午後4時30分ごろだった。
「あれは試合をしながら酔ったな。夕刻から始まった試合は、ハッと気がついたら周りが暗くなってて、日が落ちたのもわからなかった。途中からは闇夜で、まるで宇宙空間で猪木と2人だけで闘っているようだった」