“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
帝京長岡MF田中克幸は明治大に進む。
進路決定に悩んだ高校3年生の話。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2020/01/30 20:00
選手権ベスト4入りに貢献した田中克幸。春から明治大学に進み、サッカーと勉強の両立に励む。
選択を「正解」にした高校3年間。
帝京長岡に進んだ当初は、右も左もわからない状態だった。帝京長岡に集まる生徒たちの多くが所属していた長岡JYFCの存在はもちろん、谷内田、晴山、吉田の存在もまったく知らなかったと笑う。
それでも、自分で自分の将来を考えて選んだ道。3年間という時間を有意義に過ごさないといけないという自覚が芽生えた。それが勉強の重要性に気づくきっかけにもつながった。
田中はサッカーと勉強、その両方をきっちりとこなしてみせた。成績では普通科クラスで常に5位以内に入り、自身が帝京長岡に憧れを抱くきっかけとなった全日本U-18フットサル選手権でも2大会ぶりの優勝を経験。“本職”のサッカーでは前述した通り、高校2年で選手権ベスト8入り。そして今大会ではベスト4入りを果たした。気づけば、プロから声がかかる選手に成長したのだった。
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4年後、即戦力として胸を張ってプロに進みたい。その思いは相当強い。だが、大学生活だって誘惑は多い。自分を律しないとその目標は達成できないはずだ。
「明治大はサッカーのレベルはもちろん、学力レベルも高いからこそ、両立のやりがいはある。勉強とサッカーできちんと色分けできる自信はありますし、より明確にサッカー、勉強、リラックスする時間と線引きすることができると思っています」
「自分とマッチしているのが明治大だった」
高卒でプロに進むか、大学を経由してプロに進むか。この答えはすべて選択した者の中にだけある。
チームメイトの晴山は何が何でも高卒でのプロ入りにこだわり、強豪大学の誘いを断り、オファーを待ち続けて手に入れた。
偉大な先輩たちに目を向ければ、今年でプロ16年目を迎える梅崎司(湘南ベルマーレ)は、「すぐにプロになって家族を養いたい」という強い思いを抱いて、大分トリニータU-18からのトップ昇格にすべてを懸けた。
室屋成(FC東京)は青森山田高校時代にJ1クラブから熱烈なオファーを受けながらも、「すぐにプロに行くには課題も多かったし、サッカーだけではない自分の将来を考えた」と田中と同じように明治大学進学を選択した。その後、大学3年までに単位をすべて取得。リオ五輪メンバーの有力候補となったことで、大学に籍を残しながらFC東京とプロ契約し、今や日本代表の常連選手となった。
それぞれに考え方があり、さらには性格、バックボーンの違いもある。田中はあくまでも、自分に即した決断を下したまでだ。
「自分が求めているものとマッチしているのが明治大だったんです。4年間で自分の課題である守備とフィジカルをもっと身につけて、プロで通用する部分を増やしたい。単位もしっかりと取りたい。サッカー以外の学びも楽しみです。
将来、自分がどうありたいかを考えることが大事だと思っている。グラフにするとすれば、なるべく右上がりの人生を送れるように。今とこれからを大事にしたい」
田中克幸の進路の選択には「筋」があった。あとはそれを「正解」に変えていく。どの道を選んでも保証なんてないことは、彼自身が一番よく分かっているのだから。